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井上雄彦×渡邊雄太スペシャル対談01「やっと自分がNBA選手になれた気がしました」 (4ページ目)

  • 伊藤 亮●取材・文 text by Ito Ryo
  • 細野晋司●撮影 photo by Hosono Shinji

 そのなかで生き残れるのは、結局は最も単純なところで「努力しているか、いないか」なんです。どんなに能力が高かろうと、NBAを1〜2年で去っていく選手は「自分はコーチに好かれていない」「このチームが合ってない」などと常に言い訳ばかりを探している。

 一方、長く生き残れる選手ほど、与えられた環境のなかで自分が何をできるか、答えを探しているんです。自分もその点を突き詰めていかないといけませんし、契約をしてもらえているとしても、もっとフォーカスしていかないといけないなと。

井上 渡邊雄太という人は、日本一の高校生だったわけで。NBAにはそれこそずっとナンバーワンだった選手たちが集まってくる。そのなかで、言い訳をしていなくなってしまう選手がいる反面、同じナンバーワンでも渡邊雄太はずっと努力を続けられた。なぜ「日本で一番」という立場に甘んじることがなかったんだろう?

渡邊 正直、アメリカでは「日本で一番だった」なんて、なんのステータスにもならないと言いますか。実際、初めてアメリカに飛び込んだ時、練習初日にチームメイトに圧倒されましたから。変なプライドのようなものは最初からありませんでした。どちらかと言うと、下の立場から這い上がらないといけない状況がその後もずっと続きました。

 もともと高校も、いわゆる強豪校からのオファーはもらえず、県では勝っていても全国では勝てていない尽誠学園に進学したので。最後にウインターカップで結果は残しましたけど、当時から常にトップを走ってきたわけではなかったと言いますか。

井上 そういえば尽誠学園の時、いつも手袋をしていた。

渡邊 そうなんです。僕、けっこう手足が冷え性で。

井上 ああ、そうなんだ。

渡邊 日本の体育館は冬場、暖房設備がないところが多かったりで。ウインターカップの会場にはありましたが。尽誠学園は当時、冷暖房設備が体育館になかったので、冬場の練習はずっと手袋をしていたんです。だから試合でも。

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