八村塁がレイカーズで受け継ぐ「マンバ・メンタリティ」。コービーは今もみんなのなかで生き続けている (3ページ目)

  • 宮地陽子●取材・文 text by Miyaji Yoko
  • photo by Getty Images

【コービーに会った八村の印象】

 コービーが現役時代20年すべてを過ごしたロサンゼルス・レイカーズは、個々の選手だけでなく、フランチャイズ全体にコービーの息吹が宿ったチームだ。

 オーナーのジーニー・バスはコービーが現役引退したあとも、何かあるたびに意見を求めていた。それだけに、今でもコービーならどう考えるか、どんなアドバイスをくれるかを考えるという。

 ロブ・ペリンカGMは現役時代のコービーのエージェントで、親友でもあった。アシスタントコーチのひとり、フィル・ハンディは2011-2013にレイカーズの育成コーチを務めた時以来コービーとの結びつきが強く、若手相手のミニキャンプをコービーとともに開催したこともあった。

 レブロン・ジェームズやアンソニー・デイビスは、レイカーズに加わる前からアメリカ代表のチームメイトとしてコービーとのつながりがあり、多くの影響を受けてきた。コービーが亡くなった年にふたりが主力としてレイカーズを優勝に導いた時には、プレーオフを通してコービーに捧げるために戦っていた。

 この頃、レブロンは「パープル&ゴールドのユニフォームを身に着けるたびに、コービーのレガシーについて考える。彼がこのフランチャイズにとって20年以上の間、どんな意味を持っていたのかを考える」とも言っていた。

 そんなチームに1月23日、八村塁がトレードで移籍加入した。

 実は、八村は一度だけ、コービーに会ったことがある。ゴンザガ大1年の時にチームがNCAAファイナル4に出場した際、コービーがナイキ関係者とともにチームミーティングを訪れ、話をしてくれたのだ。

 当時、八村は「印象では思ったより(身体が)小さかった。もっとでかいのかなと思っていたら、こっちのガードの人たちと同じ。手を見ても小さかった」と語り、アメリカ人選手のなかに入ると小柄に見えるコービーが、NBAであれだけの実績をあげたことに感嘆していた。

 レイカーズのフランチャイズにとって、コービーがどれだけ大きな存在なのかは、八村も追々気づいていくことだろう。レブロンやデイビス、ハンディらから間接的にコービーの『マンバ・メンタリティ』を学ぶ機会もあるかもしれない。

 コービーはそうやって、これからもレイカーズのなかに、NBAのなかに、そしてバスケットボール界のなかに脈々と生き続けていくのだろう。

【著者プロフィール】宮地陽子(みやじ・ようこ)
スポーツライター。東京都出身。アメリカを拠点にNBA取材歴30年余。アメリカで活動する日本人選手やバスケットボール国際大会も取材。著書に『The Man〜 マイケル・ジョーダン・ストーリー完結編』(日本文化出版)、編書に田臥勇太著『Never Too Late 今からでも遅くない』(日本文化出版)、2023年1月発売の共著に『スラムダンク奨学生インタビュー その先の世界へ』(集英社)。

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