富永啓生は日本男子バスケの救世主となるか。富樫勇樹「彼の得点力は日本の武器になる」 (2ページ目)

  • 小永吉陽子●文 text by Konagayoshi Yoko
  • photo by APP/AFLO

 ホーバスHCは、昨夏の東京五輪で指揮官として女子日本代表を銀メダルに導いているが、女子と同じく男子にも「日本人に合っている」という理由で、『スモールボール』の戦術を取り入れている。

『スモールボール』とは、インサイドのサイズのなさをスピードと運動量を生かしてスペーシングを作り出し、ペイントアタックからのシュートと3ポイントを多投することで、得点効率のいいシュートを狙うスタイルである。得点効率を徹底させるため、得点効率が悪いとされるロングツー(3ポイントから一歩踏み込んだ距離から打つミドルシュート)をなるべく打たないこのスタイルは、NBAで数年前からトレンドになっている戦術だ。

 しかし、そのスタイルを実行するには、女子のようにスピードでアドバンテージをとり、強力な脚力やスタミナを誇るディフェンス力が必要である。そもそも、女子は26年前のアトランタ五輪当時から3ポイントを売りにしているが、男子はノーマークでも決め切れないシーンが目立つ。そこでホーバスHCが期待したのが、桜丘高時代から度胸満点の3ポイントを武器に、現在ネブラスカ大でプレーする富永なのだ。

 ここで、富永啓生が初代表になるまでの歩みを説明したい。

 父の啓之さんは211cmの高さを持つ元日本代表。現役時代は三菱電機メルコドルフィンズ(Bリーグ・名古屋ダイヤモンドドルフィンズの前身)でプレーしていた。母のひとみさんもWリーグの前身である日本リーグ時代に三菱電機コアラーズでプレー。156cmと小柄だが、強気のスタイルで牽引するポイントガードだった。どちらも左利きであり、富永がサウスポーシューターになったのも自然の成り行きなのだろう。

 母ひとみさんのコアラーズ時代にアシスタントコーチを務めていたのが、桜丘高の指揮官である江崎悟コーチ(今春に桜丘高を勇退)であり、その縁もあって高校は桜丘に進学した。富永をシューターとして開花させた江崎コーチいわく、「ポジションこそ違うが、勝負に向かっていく気の強さは母親譲り」であり、父の啓之さんは「生まれた時からバスケ選手にしたかったのでボールに触れさせていた」と話す。こうしたバスケ一家で育った環境が、「目の前が空いたらシュートを打つ」という姿勢を生み出していることは間違いない。

 そして、高校卒業後にはシュート力を買われてアメリカの短大に進み、そこで力が認められて3年次よりNCAAディビジョン1のネブラスカ大に編入。ネブラスカ大の初シーズンとなった昨季は、存在感を示せた試合もあったが、シーズンを通しては「アジャストするのが大変で調子がなかなか安定しなかった」(富永)と自分のシュートが打てずに、出番が回ってこない試合も多かった。NCAA初シーズンは手探りだった。

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