【F1】日本GPとホンダの歩み(2)佐藤琢磨の初入賞に歓喜し、アロンソの「GP2エンジン」発言に唇を噛んだ (3ページ目)
(8)【2015年】苦難のホンダ第4期「GP2エンジン」の屈辱
リーマンショックの影響を受けて、2008年で終了となったホンダの第3期F1活動。その後、トヨタも2009年にF1を撤退したほか、2012年いっぱいでフジテレビでのF1地上波も終了となった。この年は小林可夢偉(ザウバー)が日本GPで3位表彰台を獲得して盛り上がったが、2013年から日本GPの観客動員数は大きく減り、決勝動員数も10万人を下回った。
そんななか、かつての盟友であるマクラーレンとタッグを組み、ホンダが再びF1に挑戦することを発表する。2014年からエンジンに関するルールが変わったことを機に、2015年から参戦する形で準備を進めた。
そのマシンのシートに座るのは、フェルナンド・アロンソとバトンという、両者ともにチャンピオンに輝いた経験を持っているトップドライバー。この最強布陣で挑み、かつてのアイルトン・セナとアラン・プロストの時のような連戦連勝を期待する声も大きかった。だが、いざシーズンが始まるとトラブルの連続で、予想以上の大苦戦を強いられた。
それでもホンダは試行錯誤しながら前進していったが、迎えた10月の日本GPで強烈な出来事が起きる。決勝レース中に何度もオーバーテイクされたアロンソが無線で「GP2エンジン!」と発言し、世界中で話題となったのだ。
その後、マクラーレンとホンダは2017年にパートナーシップを終了する。ただ、ホンダは不屈の精神で挑戦を続け、2021年にレッドブル・ホンダとしてドライバーズチャンピオンに輝いた。
(つづく)
著者プロフィール
吉田知弘 (よした・ともひろ)
モータースポーツジャーナリスト。1984年12月19日生まれ、石川県出身。2011年よりスーパーGT、スーパーフォーミュラなど国内4輪レースを中心に取材。専門誌やweb媒体などで執筆中。日本モータースポーツ記者会所属。
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