【F1】日本GPとホンダの歩み(2)佐藤琢磨の初入賞に歓喜し、アロンソの「GP2エンジン」発言に唇を噛んだ (2ページ目)
なお、日本人ドライバーが母国でポイントを獲得したのは、1990年に鈴木亜久里(ラルース)が3位表彰台を獲得した以来。この日は15万5000人のファンが詰めかけ、スタンドは12年前を彷彿とさせるような大歓声に包まれた。
2003年、佐藤はB・A・Rホンダのリザーブ兼テストドライバーに就任し、最終戦の日本GPのみ急遽参戦することになって6位入賞。さらに、2004年はアメリカGPで自身初の3位表彰台を経験し、大きな注目を集めて迎えた10月の日本GPは、台風の接近に伴いF1史上初めて予選が日曜朝に順延されるハプニングもありつつ4位入賞を果たすなど、3年連続して母国レースでのポイント獲得を成し遂げた。
(7)【2006年】スーパーアグリ始動。鈴鹿F1は「しばしお別れ」
2006年は、ホンダが第3期F1活動で大きなターニングポイントを迎えた。B・A・Rホンダとして戦った前年までの流れから一転して、チームの株式を100パーセント取得して「ラッキーストライク・ホンダ・レーシングF1チーム」として参戦する。
ハンガリーGPではジェンソン・バトンが初優勝を果たし、第3期のホンダF1で唯一となる勝利を飾った。余談だが、2007年と2008年には環境問題をテーマにした「アースドリーム・プロジェクト」を立ち上げ、スポンサーロゴのない車体に大きな地球儀を描いて話題にもなった。
さらに、日本人として初めてF1の表彰台に上がった鈴木亜久里がチーム「スーパーアグリ」を立ち上げて参戦。同じくF1で表彰台の経験を持つ佐藤を擁し、各グランプリを回った。
鈴鹿サーキットでの日本GPも「20周年」という節目を迎えた。ただ同時に、翌年から富士スピードウェイで開催されることが決まり、鈴鹿でのF1はしばしお別れとなる。ファンやレース関係者は感謝を込めて「ありがとう鈴鹿」というメッセージを掲げ、決勝日は日本GP過去最多となる16万1000人の動員を記録。3日間の合計36万1000人も過去最多だった。
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