「アイルトン・セナほど人間的な魅力にあふれるドライバーはいない」F1カメラマン・熱田護の心残りは「独占写真のフィルムを盗まれ...」 (2ページ目)

  • 川原田 剛●取材・文 text by Kawarada Tsuyoshi
  • 熱田 護●撮影 photo by Atsuta Mamoru

【勝利への気迫・執念にますます惹かれた】

 でも、ホンダが1992年シーズン限りで撤退したあとは、セナにとって苦しいレースが続きました。1993年のマクラーレン・フォードはすごく遅かった。

 今、あらためて調べてみると、ほとんどのレースで予選ではウイリアムズ・ルノーのアラン・プロストがポールポジションをとっていますが、セナは頑張ってもプロストのチームメイトだったデイモン・ヒルのうしろ3番手がやっと。しかも予選タイムはプロストよりも1秒半〜2秒くらい遅かった。

 にもかかわらず、セナは1993年に5勝を挙げます。非力なマシンで限界ギリギリに挑んで勝利する、あのころのセナはすごかった。現代のF1でもドライバーたちは一生懸命に戦っていると思いますが、なかなか必死さが伝わってきません。でも当時はコクピットのなかのドライバーたちの気迫が見えたんです。

 1993年シーズン、雨がらみのレースやウイリアムズ陣営がミスをした時、セナの走りから何がなんでも勝ってやるという執念を感じました。そういうすごい走りを何度も見せてくれたので、ますますセナに惹かれていきました。

 セナは1994年、念願だったウイリアムズに移籍します。3年ぶりのチャンピオン獲得ができるかもしれないと僕もすごく期待が高まりました。

 セナがウイリアムズのマシンに乗っているところを少しでも早く撮影したくて、開幕前にポルトガルのエストリル・サーキットで開催されたテストにも取材に行きました。

 ところがシーズンが始まると、開幕戦のブラジルGP、日本のTIサーキット英田(現・岡山国際サーキット)で開催された第2戦パシフィックGPもポールポジションはとったものの、ともにリタイアに終わります。そして第3戦のサンマリノGPを迎えます。

 セナはイモラ・サーキットで開催されたサンマリノGPでもポールポジションを獲得し、トップを走ったまま逝ってしまった。その劇的な最期ゆえに、世界中の多くの人の心に今もセナが刻み込まれているのだと思います。

 僕自身、セナがひたむきに勝利を追求する姿に心をわしづかみにされました。ブラジルからヨーロッパに出てきて、人種差別に負けず、自分が勝つために必死になって戦っていました。

 そんなセナのことを「エゴイストだ」「自分のことしか考えていない」などと当時から悪く言う人は少なからずいました。でも、周囲の空気を気にせず、純粋に勝利を求める姿はカッコいいと僕は感じました。

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