2024年のF1はJAPANに注目「角田裕毅の次は岩佐歩夢or平川亮or宮田莉朋?」「ホンダに新たな動き?」 (2ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki

 セーフティカーや赤旗の運用にしても、イレギュラー発生時のスケジュール変更やセッション運営にしても、各チームや各ドライバーたちとの間に「こういう時はこうなる」という共通認識があり、レースディレクターがその共通認識に基づいて判断を下せば、そこには一貫性が生まれるし、多くの人が納得するはずです。逆に言えば、今はそれがないから不満の声が出る。

 多少の有利・不利が出たとしても、共通認識と一貫性があれば、その判断には納得せざるを得ないはずです。歴代レースディレクターを務めたチャーリー・ホワイティングにしても、マイケル・マシにしても、その共通認識を形成するための努力は常にしていたように思います。

 一方、ペナルティ審議などを行なうスチュワードの裁定に対する不満も多く上がったシーズンだったように思います。ただ、こちらもたしかに一貫性を欠いた裁定がいくつかあったものの、基本的にはおおむねレギュレーションと判断基準(Driving Standards Guidelines)に照らし合わせれば妥当なものが多かったと思います。

 スチュワードは、起きた事象をある意味で機械的に判断基準に当てはめて、前例に沿って裁定を下しているだけです。彼らもレギュレーションとルールの管理下にあり、その枠から外れた独断専行はできません。

 裁定に対して観る側が感覚的に「これにペナルティが出るのはおかしい!」と感じるのであれば、それはスチュワードの裁定が悪いのではなく、レギュレーションと判断基準の問題です。現在のルールが観る側の感覚とズレている、ということになります。それを観る側がレースをフェアに楽しめるように修正していく作業は、たしかに必要でしょう。

 ですが、レースは現在のルールの下で行なわれているので、ルールが好ましくないからといってルール外のことを認めることはできません。この点は、観る側もきちんと問題点を把握したうえで問題提起をすべきです。スチュワードへの的外れな批判や行きすぎた誹謗中傷にならないよう、気をつけなければならないと思います。

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