ロッシ、悪夢の2年間。MotoGP伝説の王者の再戴冠はあるのか? (4ページ目)

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

 そして15年、ロッシはヤマハ復帰3年目でついにタイトル奪還を射程範囲に収め、激しいチャンピオン争いを繰り広げた。

 それと比例するように、表面上は友好的に見えていたマルケスとの関係が緊張の度合いを高めてゆき、シーズン終盤には決定的に決裂。ある意味ではこの亀裂がロッシにとって墓穴を掘るような格好になり、一時は手元まで引き寄せたかにみえた6年ぶりの王座を5ポイントの僅差で逃すことになった。タイトルを獲得したのは、同じヤマハファクトリーチームのホルヘ・ロレンソだった。

 16年の年間ランキングは2位、17年は5位。17年は、ロレンソがドゥカティへ移籍し、ロッシのチームメイトはさらに若いマーヴェリック・ヴィニャーレスになった。

 18年は、ロッシとヴィニャーレスがともにタイヤのグリップ不足などに苦しみ、ヤマハの苦戦が顕著な一年だった。シーズン中盤のオーストリアGPでは予選終了後の選手取材の際には、ライダーが登場する前に突如、日本人技術陣のリーダーが現れて、選手たちの望むマシン開発をできないでいることを各国メディアの前で詫びるという一幕もあった。まるで技術者が公開処刑の場に立たされているような残酷な場面に見えて、大変居心地の悪いものだった。

 結局、18年もヤマハ勢はマルケスの牙城(がじょう)に迫ることはできず、ロッシは年間ランキングを3位で終えた。

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