初音ミクの「痛車」チームがスーパーGTで3度王者の強豪になるまで (2ページ目)

  • 吉田知弘●取材・文 text by Yoshita Tomohiro
  • 吉田成信●撮影 photo by Yoshida Shigenobu

 しかし、参戦当初はトラブルが多く、2009年も開幕戦から出走したものの、予選落ちを喫してしまうこともあった。

「最初は"痛車"というのもあったし、チームも強くなかったので、どこか草レースのような感覚でやっていたところはありました。周りの邪魔をしていた部分もあったのかもしれません。"イロモノ"という見方がありましたからね......。でも、よく受け入れてくれていたなと思います。『ちょっと、わきまえろよ』という視線は感じましたけど、『(パドックから)出て行け!』というような感じはまったくなかったです」

 安藝は当時をそう振り返る。だが、決して遊び感覚だけでレースに参戦したわけではない。

「ファンとしっかりコミュニケーションをとって、情報を開示し、一緒に喜んでもらい、みんなからお金を出してもらう。ファンの気持ちと行動が強さに直結するというのが、僕たちの方法論です。それが受け入れられて、レース業界全体にいい影響を与えた部分もあったと思います」

 最初は"痛車"というイメージが先行していたが、2011年に大きな転換期を迎える。ポルシェを使用していた前年のマシンを2011年からBMWに戻し、Z4 GT3で戦うことにした。さらに、ドライバーにはGT300クラスのトップドライバーのひとりである谷口信輝が加わり、元F1ドライバーの片山右京もスポーティングディレクターとしてチームの一員となった。

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