2012.08.22

【MotoGP】ロッシがヤマハ復帰を決めた最大の理由とは?

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

来季からヤマハに復帰することを発表したロッシ サマーブレイクを挟んで後半戦が再開した第11戦インディアナポリスGPの事前記者会見は、先ごろヤマハへの復帰を発表したバレンティーノ・ロッシに対する質疑応答で終始した。

 ロッシの去就は、第10戦U.S.GP終了後から第11戦までのどこかで発表されると予想されており、古巣への復帰表明は事実上、時間の問題だった。転倒リタイアという散々な結果で終えた第10戦のラグナセカサーキットでは、夕刻にロッシ本人が含みを持たせるような発言を行ない、明確な態度こそ表明しなかったものの、「ヤマハファクトリー復帰」はその日の段階でもほぼ確定事項とみなされていた。

 そして、その去就が明らかになった現在、さまざまな話を総合して推測してゆくと、どうやら彼はドゥカティ離脱をかなり早い段階から考慮していたようなフシもうかがえる。

 とはいえ、ドゥカティが懸命の慰留工作を行なってきたことは、以前の記事でも紹介してきたとおりだ。7月には、ヤマハを退職した古澤政生を開発陣に招聘するという奇策にも打って出た。2004年にロッシがホンダからヤマハへ移籍してきたときから強い信頼関係を築いている古澤の招聘は、まさに窮余の一策だったのだろう。だが、たとえ退職した身とはいえ、執行役員まで務めた人物が自らの会社と真っ正面から競合するライバル企業へ移ることが日本の商慣習になじむわけもなく、このプランは机上の空論に終わった。

 ドゥカティ陣営が、彼ら両名の関係や古澤のエンジニアとしての能力に目をつけてこの作戦を企図したことはいうまでもないが、もうひとつ、ドゥカティのチーフエンジニアであるプレツィオージとロッシの関係が悪化していたことも大きな要因だろう。2009年イタリアGPの際には、当時ヤマハに在籍していたロッシが表彰台でプレツィオージに抱きついてその能力を讃え、ドゥカティへの移籍可能性をほのめかすほど熱烈な関係にあった両者だが、2011年の移籍後はまったくいいところのないまま成績は低迷、両者の関係はもはや完全に冷え切っていた。