検索

『ウマ娘』でも描かれた不屈の貴公子 トウカイテイオーが競走生活で見せた真の姿 (2ページ目)

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara

 たとえば、5歳(現4歳。※2001年度から国際化の一環として、数え年から満年齢に変更。以下同)の秋。トウカイテイオーはGⅠジャパンC(東京・芝2400m)を制し、皐月賞、ダービーに続いて3つ目のGⅠタイトルを獲得した。しかし、続くGⅠ有馬記念(中山・芝2500m)で11着に大敗すると、再度の骨折により、長い休養を強いられた。

 復帰したのは、それから丸1年経った有馬記念。日数にして、364日後のことだった。結果的にこの一戦がキャリア最後の競馬となるのだが、トウカイテイオーにとって、最もドラマチックなレースとなった。

 1年ぶりのレースがGⅠの大舞台。まして骨折明けとなれば、常識的に考えて勝つシーンは想像しにくい。大方のファンもそういった見解だっただろう。しかし、"帝王"はそうした常識を覆した。

 好スタートをきったトウカイテイオーは、すかさずインコースを取り、内ラチ沿いを進んだ。稀代の逃げ馬メジロパーマーがレースを引っ張り、1番人気に推された4歳馬のビワハヤヒデが先行集団に位置するなか、トウカイテイオーはその後ろでじっと息を潜めていた。

 勝負どころとなる3コーナーを迎えて動き出したビワハヤヒデ。4コーナーでは早くもメジロパーマーに並びかけた。直線入口で先頭に立って、横綱相撲の競馬でそのまま押しきると思われた。

 だが、ビワハヤヒデに迫る存在が1頭だけいた。トウカイテイオーだった。

 道中インコースにいたトウカイテイオーは、3コーナーからスルスルと馬群を縫ってポジションを上げ、直線に入ってからビワハヤヒデの後ろを猛追してきたのだ。レースの実況アナウンサーも驚きを隠せず、「トウカイテイオーが来たぞ、トウカイテイオーが上がってきた!」と声を張り上げた。

 芦毛のビワハヤヒデの外に持ち出したトウカイテイオーは、ライバルとの一騎打ちへ。骨折明けのブランクをものともしないフットワークで、自慢のたてがみをなびかせながら、芦毛の馬体をかわしたのだった。

 多くの人たちが「奇跡の復活」と口にした。実際に、この勝利はJRAの長期休養明けGⅠ勝利の最長記録となっており、今も破られていない。

 その後、トウカイテイオーは現役を続行するが、またも骨折に見舞われてしまう。復帰を目指したものの叶わず、引退することになった。再びその勇姿を見せることはできなかったが、最後までトウカイテイオーは戦い続けたのだった。

 皇帝の子に生まれ、圧倒的な才能とセンスを兼ね備えたプリンス。しかしこの馬が見せたのは、そうしたイメージとはまた違う、どこまでも諦めない、泥臭い闘志だった。不屈の帝王、それこそがトウカイテイオーの真の姿である。

フォトギャラリーを見る

2 / 2

キーワード

このページのトップに戻る