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ウマ娘でも闘争心全開で走り抜けるタマモクロス。天皇賞・秋は語り継がれるべき「芦毛の名勝負」だった (3ページ目)

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara
  • photo by Kyodo News

 この時期特有の強い西陽を浴びながら、ゲートが開く。すると、スタート直後から競馬場はどよめいた。いつもは後方から進めるタマモクロスが、2、3番手を追走していたからである。オグリキャップは、ライバルから3馬身ほど離れた7、8番手に位置取ることとなった。

 どちらも動かず、タマモクロス2番手、オグリキャップ7番手のまま直線を迎える。2頭の差は、やはり3馬身ほどあった。

 大歓声が湧き上がる直線。タマモクロスの前には先頭を走るレジェンドテイオーがいたが、タマモクロスの鞍上・南井克巳は焦らず仕掛けない。見ていたのは前のレジェンドテイオーではなく、うしろのオグリキャップだった。

 そしてオグリキャップが加速して迫ってくると、タマモクロスは徐々に進路を外に変え、芦毛のライバルに近づいていく。まるで、馬体を接近させることで闘志に火をつけるかのように。

 すると、タマモクロスは力強く伸びた。オグリがもう少しで並びかけようとすれば、すっと突き放す。また来ようとすれば、再び突き放すのだ。

 結局、最後までタマモクロスは並ばせなかった。軍配は白い稲妻に上がったのだ。8連勝の瞬間である。

 芦毛の2頭、それもエリートではない2頭が連勝記録を作り、激突する。こんなシナリオは、長い歴史を持つ天皇賞でも屈指のものだろう。そして、そのレースを制したのは、1年前まで条件クラスにいた馬なのである。

 その後、タマモクロスは2戦して引退する。実はこの2戦、いずれも2着に敗れてしまったが、しかし印象深いレースだった。

 天皇賞・秋に続いて挑んだジャパンカップは、アメリカから参戦したペイザバトラーに敗れたのだが、この時、勝ち馬に騎乗したクリス・マッキャロンは、タマモクロスの闘争心の強さを研究し、あえて馬体を並べないようにしたという。海外のホースマンさえ恐れる勝負根性だったのだ(ちなみに、この時オグリキャップは3着)。

 そして引退レースとなった有馬記念では、オグリキャップとまたも一騎打ちに。ここではタマモクロスがスタートで出遅れ、後方の位置取りになった。終盤で外から追い上げ、最後はマッチレースになるも、今度はオグリキャップに軍配。このレースも、2頭のライバル関係を語る上で、ぜひ見てほしいレースだ。

 あれから30年以上の月日が経つが、いまだに1988年の天皇賞・秋は、忘れることのできない珠玉の一騎打ちではないだろうか。2分弱の戦いに、それぞれのすべてを賭けてぶつかる。今年の天皇賞・秋でも、そんな名勝負を見られたらと思う。

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