ウマ娘でも快走の奇跡の名馬・トウカイテイオー。皇帝と帝王、父子の物語 (2ページ目)

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara
  • photo by Kyodo News

 レース後の表彰式で、鞍上の安田隆行騎手は手を挙げ、指を一本立てた。これは、シンボリルドルフが三冠を取った際、鞍上の岡部幸雄騎手が見せたパフォーマンス。一冠、二冠、三冠と取るごとに、指を一本、二本、三本と立てていったのである。

 父と同じ無敗の三冠制覇へ。迎えた二冠目、1991年5月26日のGⅠ日本ダービー(東京・芝2400m)は、全国のファンの視線がテイオーに注がれた。戦いの前にはこの人馬を特集する番組が多数組まれるほどの人気だった。

 そんな中、大外20番枠からスタートしたトウカイテイオーは、道中6番手をキープ。直線入口で早くも外から先頭に立つ構えを見せる。大歓声に湧く東京競馬場の直線。"帝王"の強さは圧巻だった。先頭に立ったトウカイテイオーは堂々と抜け出し、他馬を引き離す。何度やっても、この馬には勝てない。多少レース展開が変わっても、この馬の前に出ることはできない。ダービーを見ていた多くの人が思ったはずだ。3馬身差の完勝劇。6戦無敗で二冠となり、表彰式では安田騎手が二本指を掲げた。

 同じ無敗での勝利だが、ダービーに関しては、父以上に盤石の内容だった。もしかしたら、テイオーはルドルフを超えるかもしれない。本気でそう信じた人は多い。

 皇帝から帝王へ――。ダービーの歴史に残る、美しいストーリーが結実した瞬間だった。

 だがこの日を境に、父と子の運命は大きく異なっていく。ダービー直後、トウカイテイオーは左後脚を骨折。長期休養を強いられてしまった。無論、父と同じ無敗の三冠という夢は途絶えた。

 復帰したのはダービーから約10カ月後、4歳となった1992年4月。今度は、父ルドルフの相棒だった岡部幸雄騎手とコンビを結成する。その初戦はムチさえ使わず楽勝するが、続くGⅠ天皇賞・春で5着に敗れると、なんと今度は右前脚を骨折してしまった。

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