ウマ娘でも快走の奇跡の名馬・トウカイテイオー。皇帝と帝王、父子の物語 (4ページ目)

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara
  • photo by Kyodo News

 致命的とも言える3度目の骨折。テイオーが次に競馬場に姿を見せたのは、1993年の有馬記念。そう、丸1年間の休養を強いられたのである。

 繰り返すが、競走馬の骨折は致命的であり、3度も骨折した馬が復活したケースはほとんど聞かない。しかも骨折はすべて違う脚。そんな馬が1年ぶりのレースに挑み、しかも舞台はスターホースが集う有馬記念。いくら二冠馬でも、ここで勝つのは奇跡に近かった。

 ただ、そんな奇跡が起きるからこそ、人は競馬に魅せられる。ゲートが開くと同時にすばらしいダッシュを見せたテイオーは、1年ぶりとは思えない集中力、前進気勢で進む。そして4コーナーの勝負どころ、1番人気のビワハヤヒデが先頭に立つと、その後ろを追いかけ、ついに直線で外から並びかけた。多くのファンが「まさかそんなことが......」と思い始めたのがこのあたり。テイオーは力強く伸びて、ゴール前でビワハヤヒデをかわした。

 当時放送していたテレビのレース映像を見ると、アナウンサーは最初、戸惑うように「トウカイテイオーが来ている」と言っている。そしてその後、ビワハヤヒデを捉えにかかると「トウカイテイオーが来た、トウカイテイオーが来た!」と、まるで今起こっていることを確かめるかのように連呼。最後に「トウカイテイオー、奇跡の復活!」と絶叫した。それほど、この結果は信じられないことだった。前走から中364日でのGⅠ勝利は最長記録であり、いまだに破られていない。

 おそらく馬は、人間のようにレースの価値を理解していない。走りたくなければやめることもできる。それを誰も責められない。それなのにトウカイテイオーは、なぜ骨折を3度も繰り返しながら、ここまで頑張れるのか。無敗で父の背中を追っていた当時、こんなに何度も倒れながら、そのたびに立ち上がる姿を誰が想像しただろうか。

 希代のグッドルッキングホースと言われ、完璧だった父のキャリアを追いかけた若き頃。ダービーを境に、その夢からは遠のいたかもしれない。しかし、骨折と戦い続けた"帝王"がファンに遺した記憶は、父と同じかそれ以上に大きい。

 今年も日本ダービーがやってくる。この日までに、あるいはこの日を皮切りに、また1頭1頭のドラマが織り成されていく。トウカイテイオーの生涯は、そんな競馬のロマンを教えてくれる。

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