ナリタブライアンの怪物への「確変」を目の当たりにした朝日杯の爆走
今でこそ「名馬」の名をほしいままにしているナリタブライアン。特に今年は、三冠馬に注目が集まったことから、史上5頭目の三冠馬として、時ならぬ脚光を浴びた。
日本ダービーで5馬身、菊花賞で7馬身と、2着馬をちぎったそのパフォーマンスは、僅差で勝つ"シンザン型"に対して、"ナリタブライアン型"と称され、その圧倒的な強さには「史上最強」といった呼び声もあるほどだ。
朝日杯を圧勝したナリタブライアン しかしながら、この馬が本格的にその強さを見せ始めたのは、デビューしてから結構なレース数をこなしてからのこと。初期の段階では、勝ったり、負けたりを繰り返す"普通に強い馬"にすぎなかった。
1993年、2歳(※当時の年齢表記は3歳)の夏にデビューしたナリタブライアンの5戦目までの戦績は、2勝、2着1回、3着1回、着外1回。勝つことよりも、負けることのほうが多かったのだ。
だからといって、注目度が低かったわけではない。ひとつ上の兄にビワハヤヒデがいたからだ。同馬は、ナリタブライアンがデビューする前に、皐月賞2着、日本ダービー2着と奮闘。ナリタブライアンのデビュー後には、菊花賞を制して、その年(1993年)の年度代表馬に輝いている。
そうしたこともあって、ナリタブライアンは当初、「ビワハヤヒデの弟」というイメージのほうが強かった。
デビュー2戦目で9馬身もちぎったかと思えば、次のレースでは掲示板に載れないほどの惨敗も喫してしまう。それが、その頃のナリタブライアンだった。
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