フランス競馬界で知らぬ者はない、
小林智調教師が現地で開業するまで
フランスで唯一開業する日本人・小林智調教師インタビュー前編
いまやフランス競馬界でも名の知れた小林智調教師 フランス最大の競走馬トレーニングセンター、シャンティイ。
ここには凱旋門賞7冠のアンドレ・ファーブルや牝馬トレヴの鮮烈な2連覇(2013、2014年)が記憶に新しいクリスチャン・ヘッドら、フランスを代表するホースマンたちが厩舎を構える。
そのフランス競馬界伝説の地に、日本人として初めて厩舎を開業したのが、小林智(さとし)調教師(43歳)だ。最初は1頭から始めた調教馬も9年目の今年は25頭に増え、勝ち鞍も79を数える。
競馬場を歩けば関係者や観客から次々と声がかかる。この業界で「KOBAYASHI」という日本人調教師の存在を知らない者はもはやいない。
世界最高峰のレース、凱旋門賞を主催し、伝統と職人気質にあふれるフランス競馬界に、はるか遠い極東の地から単身で飛び込んだ小林調教師に、ここに至った過程を聞いた。
――大学では理工学部で学ばれていたそうですが、そこから競馬界に、というのはどのような経緯で?
小林智調教師(以下、小林) もともと競馬は好きだったんです。父が好きで、ちょうどシンボリルドルフとミスターシービーの時代で、僕はミスターシービー派だったんですが、ミスターシービーはいつもシンボリに負けていたんですよね。映像を見た覚えはないんですが、レースが終わったあとに結果を父に聞いていた記憶はあります。
それからしばらくして、高校1年のときに、皐月賞にシンボリルドルフの子供のトウカイテイオーと、ミスターシービーの子供のシャコーグレイドが出てきたんです。そのレースは、トウカイテイオーが1着、シャコーグレイドが2着だった。そのとき感じたんです。「あ、競馬って面白いな。何年も前に聞いていたレースの競走馬の子供たちが出てきて競う、こういうものなんだ......」と。
それから競馬を見るようになりました。中山競馬場が自宅から近かったのもあって。
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