【競馬】冠名「マチカネ」全盛時代に、外国人牧場長が抱えた悩み

  • 河合力●文 text&photo by Kawai Chikara

ディープブリランテがダービーに挑む前、スウィーニィ氏が日々勝利を祈りながら渡っていたという「優駿橋」。ディープブリランテがダービーに挑む前、スウィーニィ氏が日々勝利を祈りながら渡っていたという「優駿橋」。『パカパカファーム』成功の舞台裏
連載●第6回

開業わずか11年で、ダービー馬ディープブリランテを輩出した『パカパカファーム』(北海道新冠町)の成功の秘密を探っていく好評連載。今回は、同牧場のオーナーであるアイルランド人のハリー・スウィーニィ氏が、かつて総支配人を務めた『待兼牧場』(北海道日高町)での3年間と、そのときに直面した家族の問題に迫る――。

 近年、日本の競走馬は、その走りだけでなく、ユニークな馬名でファンを楽しませることも多くなった。モグモグパクパクやオマワリサンなどに代表される小田切有一氏の所有馬や、「シゲル」という冠名のあとに、生まれ年ごとに果物(シゲルスダチ、シゲルアセロラ)や役職(シゲルジュウヤク、シゲルキョクチョウ)などの「シリーズ」を馬名につける森中蕃(もりなか・しげる)氏の所有馬は、その象徴的な存在だ。

 しかし、1990年代の日本競馬を知っていれば、個性的な馬名というと、「マチカネ」の冠名がついた馬を思い出す人が多いのではないだろうか。マチカネメニモミヨ、マチカネシルヤキミなど、"純和風"なネーミングが多く、ファンから馬名を応募するという試みも度々行なわれていた。

 そのマチカネ軍団のオーナーであった故・細川益男氏が、北海道日高町に開場したのが『待兼牧場』。1990年にアイルランドから来日し、5年間『大樹ファーム』(北海道大樹町)の場長を務めたハリー・スウィーニィ氏(現パカパカファーム代表)が、ふたつ目の勤務地として身を置いた牧場だ。

「大樹ファームとはまったく違う環境でしたが、日本語もだいぶ話せるようになりましたし、日本競馬についても5年間で熟知できていたので、来日当初のような苦労はありませんでした。それに何より、待兼牧場の設備は素晴らしかった。これならきっといい結果になると思いましたね」

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