イ・ボミ「スマイル・キャンディ」が日本女子ゴルフ史に遺した功績 スポーツ紙の一面を何度も飾った希代の韓国人アスリート (2ページ目)

  • 金明昱●取材・文 text by Kim Myung-Wook
  • photo by Getty Images

 来日当初、彼女はよくこんなことを口にしていた。

「日本の人たちに応援してもらうことが小さな夢」

 理由は、自分のバーディーよりも日本選手のパーのほうが、拍手が大きかったことにショックを受けていたから。韓国人だが、日本人選手と同じように応援してほしい――彼女の秘めた思いだった。

 優勝こそ果たせなかったが、賞金ランキング40位で1年目からシード権を獲得した。転機が訪れたのは、2年目の2012年シーズン。2戦目のヨコハマタイヤ PRGRレディスカップで、ツアー初優勝を飾ったことがきっかけとなった。

「ここから、私に声をかけてくれたり、名前を知ってくれる人が増えて、すごくうれしかったのを覚えています」

 初優勝から勢いに乗った同シーズンは、計3勝を挙げて賞金ランキング2位と躍進した。以降、ツアーの中心選手として活躍。2013年シーズンは賞金ランキング7位、2014年シーズンも同3位と好成績を残して、賞金女王へあと一歩というところまできていた。

 2014年シーズンは一時賞金ランキングトップを走っていたが、父ソクチュさんが亡くなったことが重くのしかかかり、逆転を許した。トレードマークである"笑顔"が彼女から消える時期も長かった。

 迎えた2015年シーズン、父親のことを思い出しては涙にくれる日々も多かったが、当時専属キャディーだった清水重憲氏、トレーナーやマネージャー、母ファジャさんらに支えられ、イ・ボミは強くなった。

 女子ツアー屈指のショットメーカーと言われ、狙ったところに面白いようにボールが落ちていく。出場した試合は必ずと言っていいほど、優勝争いに絡んだ。彼女を追うギャラリーは日増しに増え、契約を結ぶ本間ゴルフのクラブやキャップは飛ぶように売れた。

 ホールアウト後のファンサービスでサインなどをする際、イ・ボミは「どこから来てくれたんですか?」と聞いては、ファンの顔と名前を覚えるのが習慣だった。結果、多くのファンが彼女の虜になった。そうしたファンのことは「イボマー」と呼ばれ、一種の社会現象となったことは有名な話だ。

 彼女は、それほどファンやギャラリーのことを大事にしていた。あるトーナメントでは、列をなしたおよそ300人のファン全員にサインをして帰ったというエピソードもあるほど。

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