ワールドカップ史上最強チームは4大会で3回優勝 サッカー王国ブラジル誕生ストーリー (3ページ目)
【黒人選手と個人技】
歴史的に見れば、ブラジルは南米のなかでもけっしてサッカー先進国ではなかった。
19世紀に、南米で最初にサッカーが盛んになったのはアルゼンチンやウルグアイだった。
というのは、19世紀の初めにスペインから独立した後、アルゼンチンやウルグアイは経済的に英国の支配下に置かれ、数多くの英国人が住んでいたため、早くからフットボールが行なわれていたのだ。
そして、1920年代になると両国は独自のスタイルを確立。1924年のパリ五輪と1928年のアムステルダム五輪でウルグアイが連覇。これがW杯誕生のきっかけのひとつとなって、1930年にウルグアイで第1回W杯が開催されたが、ここでもウルグアイが決勝でアルゼンチンを破って初優勝を遂げた。
1940年代に入るとアルゼンチンが全盛期を迎え、アルゼンチンの攻撃力を止めるためにブラジルは4バックを導入せざるをえず、その結果、4-2-4システムがブラジルの代名詞となった。
アルゼンチン全盛の1940年代は第2次世界大戦のためにW杯はなかったが、戦後初のW杯は1950年にブラジルで開催された。ブラジルは決勝リーグでも2連勝(この大会はベスト4によるリーグ戦で優勝を決める形式だった)。最終ウルグアイ戦で引き分けさえすれば優勝が決まるはずだったのだが、ウルグアイに逆転負け。20万人以上を収容したリオデジャネイロのマラカナンでは観客の何人かがショック死する事態となった。
そして、1958年にようやく初優勝を遂げると、そこからまさにブラジルの黄金時代が幕を開けたのだった。
この頃、ブラジルが圧倒的な強さを見せた背景には、黒人選手たちの活躍が欠かせなかった。
ブラジルには、農園や鉱山での労働力として大量のアフリカ人奴隷が連れてこられていた。そして、20世紀に入ると彼らの子孫たちも見よう見まねでサッカーをプレーするようになっていった。
現在では欧州各国でアフリカ系の黒人選手は数多くプレーしている。フランス代表などは、チームの半数以上が黒人選手だ。
しかし、1950年代当時、欧州には黒人選手はほとんどいなかったし、アフリカ諸国のサッカーも未発展。南米でもアルゼンチンは白人主体の国であり、黒人人口が多いペルーやコロンビアの強化はまだ進んでいなかった。つまり、世界で最初にアフリカ系黒人が本格的にプレーするようになったのがブラジルだったのだ。
第2次大戦前にも、たとえば1938年フランス大会で得点王となったレオニダスのような黒人選手が活躍していたが、当時のブラジルのサッカー界では人種差別が激しかった。
ブラジルのクラブはもともと白人富裕層の社交クラブとして発足したものも多く、そうしたクラブのなかには黒人選手と契約しようとしないところもあった。だが、第2次大戦後は黒人選手は次第にサッカー界に受け入れられていく。
黒人選手は身体能力に優れ、その動きには独特のリズムがある。ブラジル以外の国の選手たちは黒人選手との対戦経験が少なく、彼らの独特の動きを止めるのが難しかった。また、欧州勢はそもそも戦争中に若手選手が育たなかったことによって弱体化していた。
そんないくつもの要因が重なって、1950年代から70年代にかけてブラジルが世界を席巻。そして、ペレをはじめとするブラジル人選手の個人技が世界を魅了した。
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