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毎度お騒がせワールドカップのチケット販売の変遷 申込用紙での簡単購入から複雑に変化 (3ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Takeo Goto

【都市、スタジアムごとのパッケージ販売】

 FIFAは、入場券収入を引き上げるために「抱き合わせ販売」という方法を考えた。

 1982年のスペイン大会では、国外からはホテル代とセットでないと購入できないことになった。スペインの大手旅行会社を中心に結成された「ムンディエスパーニャ」という組織が、ホテル代と入場券代を合わせたパッケージを独占販売した。

 ところが、その「ムンディエスパーニャ」の運営は杜撰極まりないもので、指定されたホテルに行ってみたら予約が入っていないとか、購入していたはずの入場券が試合前日まで届かないといったことがあったので、大ブーイングを浴びた。

 そこで、1986年のメキシコ大会から、入場券は都市ごとのパッケージで売りに出された。

 たとえば、「6月1日にグアダラハラのハリスコ・スタジアムでスペイン対ブラジルという好カードがあるので観戦したい」と思っても、入場券1枚だけでは購入できない。グアダラハラで行なわれる全9試合分を全部買わなければいけないのだ(あの、W杯史に残るブラジル対フランスの準々決勝も含まれてはいたが......)。

 メキシコ市に滞在して、ブラジルの試合だけ見に行こうと思ったら、何枚もの入場券が無駄になってしまう。

 1990年のイタリア大会でも同様の方式が踏襲された。ブラジル対スウェーデン戦を見たかったら、トリノのスタディオ・デッレ・アルピでの5試合分の入場券をすべて買わなくてはならなかった。

1990年イタリアW杯。抱き合わせで購入したスタディオ・デッレ・アルピでのブラジル対スウェーデンの入場券(画像は後藤氏提供)1990年イタリアW杯。抱き合わせで購入したスタディオ・デッレ・アルピでのブラジル対スウェーデンの入場券(画像は後藤氏提供)この記事に関連する写真を見る つまり、FIFAは「スタジアムは満員にならない」という前提で、抱き合わせ販売をすることで販売枚数を増やそうとしたのだ。おかげで、発表された入場者数は満員に近い数字なのに、実際は空席が目立つというような試合がいくつもあった。

 この大会で優勝する西ドイツの試合でも、ミラノのジュゼッペ・メアッツァは満員にはならなかった。ミラノは西ドイツから近かったのに......。

 今では信じられないかもしれないが、当時はセリエAが世界最高峰リーグだった。だから、いつもそんなハイレベルの試合を見ている地元の人たちにとっては、W杯といっても魅力的とは思えなかったのだろう。

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