検索

毎度お騒がせワールドカップのチケット販売の変遷 申込用紙での簡単購入から複雑に変化

  • 後藤健生●文 text by Takeo Goto

連載第99回 
サッカー観戦7700試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」

 現場観戦7700試合を達成したベテランサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。

 北中米大会でじつに14大会連続のW杯観戦になる後藤氏。今回は、長い歴史のなかで大会のチケット販売の変遷を紹介します。

1990年イタリアW杯の西ドイツ対ユーゴスラビア戦。会場のジュゼッペ・メアッツァは空席が目立っていた photo by Getty Images1990年イタリアW杯の西ドイツ対ユーゴスラビア戦。会場のジュゼッペ・メアッツァは空席が目立っていた photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る

【1974年、入場券の入手は簡単だった】

 2026年W杯開幕まで1カ月あまり。入場券販売も最終段階となり、残っている試合ごとの入場券が販売されている。

 出場チーム数が48に増え、104試合が行なわれる2026年大会。アメリカンフットボール用の巨大スタジアムが使用されることもあって、史上最多の観客動員となるのは確実だ。しかも、チケット代はこれまでとは比べ物にならないほどの高額に設定されており、FIFA(国際サッカー連盟)には巨額の収入がもたらされる。

 そして、それを原資として、史上最高となった賞金も含めて48のW杯参加国に巨額の資金が分配される。W杯参加各国協会にとっては大きな収益となるはずで、来年のFIFA会長選挙でのジャンニ・インファンティーノ現会長の再選は間違いないものとなる筋書きなのだろう。

 いずれにせよ、W杯はFIFAにとって最大の収入源なのだ。

 W杯の入場券販売方式の変遷を振り返ってみると、その時その時の世情やテクノロジー、そしてサッカーを取り巻く環境がわかってくる。

 僕が最初に現地観戦に行ったのは、1974年の西ドイツ大会だった。

 フランツ・ベッケンバウアー率いる西ドイツが、オランダを下して優勝を決めた大会である。準優勝に終わったものの、ヨハン・クライフのオランダの革新的なサッカーは、その後のサッカー史を大きく変えた。

 この大会の入場券販売は、現在から見たら実にシンプルなものだった。

 西ドイツを代表する航空会社ルフトハンザが代理店に指名されており、東京・虎ノ門の霞が関ビル内にあった同航空の東京支店に行くと、そこに申込用紙が置いてあって、「何月何日のドコドコ代表対ナントカ代表 カテゴリー3×1枚」と書き込んで提出。その後、振込の通知が来たら銀行で金額を振り込めばよかった。

 チケットの現物は、たしか開幕1カ月ほど前に郵送されてきた。

 西ドイツ国内では、試合によっては入手が困難だったようだが、日本を含む海外のほうがむしろ簡単に入場券を手に入れることができた。

1 / 4

著者プロフィール

  • 後藤健生

    後藤健生 (ごとう・たけお)

    1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2025年、生涯観戦試合数は7700試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。

【画像】FIFAワールドカップ2026出場国 フォーメーション&メンバー

キーワード

このページのトップに戻る