検索

【欧州サッカー】ローマの王子・トッティは中田英寿との交代に不快感を露わにした「ふざけるなよと思った」 (2ページ目)

  • 粕谷秀樹●取材・文 text by Hideki Kasuya

【「ゼロトップ」のパイオニア】

 1997-98シーズンから4位→5位→6位と、徐々に降下していったローマに転機が訪れたのは、2000-01シーズンのことだった。得点源としてガブリエル・バティストゥータをフィオレンティーナから、中盤の要にレバークーゼンからエメルソンを補強し、新監督に名将ファビオ・カペッロを招いた。

 トップ下のトッティはバティストゥータ、マルコ・デルベッキオの2トップを操り、ローマに18シーズンぶりのリーグ優勝をもたらしている。ただ、不快感を露わにするシーンがあった。

 中田(2000年1月にペルージャから移籍)との交代である。

 カペッロ監督は優勝を決定的にした32節のユベントス戦で、トッティを下げて中田を投入した。この交代は見事に的中し、日本代表MFは反撃の狼煙となるゴールを奪い、さらに同点弾の起点となるシュートも放つ大活躍。ローマは0-2から貴重な1ポイントを手に入れた。

「今となっては理解できる。試合が膠着状態に陥り、なんらかの変化が必要だった。でも、まさか俺とナカタが交代するなんて、ふざけるなよと思った」

 トッティの述懐である。中田の実力は認めるが、「ローマの軸は俺」と自負していた当時の選手交代だ。しかもユベントスとの大一番だ。不快感はイタリア人として当然の感覚だったのかもしれない。

 なお、中田との間に一切の遺恨はなく、つい先日も日本のメディアで仲睦まじく対談していた。

 残念ながらローマでは、リーグ優勝が1回、コッパ・イタリア制覇も2回にすぎない。トッティの実力を踏まえると少なすぎる。

 しかし、最前線より下がった位置からゲームを創り、状況に応じて得点も狙う戦術的なポジションをこなしていた。「ゼロトップ」はトッティがパイオニアかもしれない。

 チームメイトの特性、立ち位置を瞬時に理解し、これ以上ないタイミングとスピードでボールを届けるアシスト技術には、誰もが見惚れた。

 さらにチップキックやループシュートといった多彩、かつエレガントな技術で相手GKを無力にし、フリーキックで高い成功率を誇っていた。PKでは「パネンカ(※)」を得意にしていた。

※パネンカ=PKで左右いずれかに飛んだGKを欺き、中央へふわりと浮かせたシュートを放つ大胆不敵なテクニック。1976年の欧州選手権でチェコスロバキア代表のアントニーン・パネンカが披露したことが名前の由来。

2 / 4

キーワード

このページのトップに戻る