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【欧州サッカー】ファビオ・カンナヴァーロは身長176cmでも無双 涼しい顔で「1対1」「空中戦」を制した (2ページ目)

  • 粕谷秀樹●取材・文 text by Kasuya Hideki

【バッジョが最も嫌がったDF】

 また、俊敏性も別次元だった。アンドリー・シェフチェンコやダヴィド・トレゼゲなど、スピード自慢のアタッカーをことごとく、しかもあっさりと完封した。瞬時に身体を寄せ、縦パスを無効化する。

 ファン・バステンとバティストゥータは「ヴィエルコウッドが一番イヤなCB」と語っていたが、ロベルト・バッジョの印象は異なる。

「カンナヴァーロが間合いを詰めてくるだけで不快だった」

 1993年3月、カンナヴァーロは19歳でナポリのトップチームに昇格。心優しい先輩であるジャンフランコ・ゾラの背中を見ながら、プロの姿勢を学んだ。翌シーズンはチロ・フェラーラとのコンビで鉄壁の砦を形成した。この男もまた好人物だ。カンナヴァーロが醸す人当たりのよさは、温かな人間関係によるものなのだろう。

 1994-95シーズンもナポリに必要不可欠なCBとして活躍したものの、財政難によってパルマに放出される。しかし、この移籍によってジャンルイジ・ブッフォン、リリアン・テュラムと出会い、1996‐97シーズンはパルマをクラブ過去最高の2位にまで引き上げている。

 1998-99シーズンと2001-2002シーズンにコッパ・イタリアを制したあと、2002年の夏にインテルへ移籍。ただ、不慣れなサイドバックやボランチに起用される不本意な2シーズンを過ごすことになり、2004年夏にはユベントスに新天地を求めた。

 ここでフェラーラ、ブッフォン、テュラムと再会。世界最強の守備陣が誕生し、カンナヴァーロは悲願のスクデットを獲得する。当時のユベントスは、ズラタン・イビラヒモヴィッチ、アレッサンドロ・デル・ピエロ、パベル・ネドベド、ジャンルカ・ザンブロッタなどを擁する好チームで、チャンピオンズリーグ優勝も狙えるレベルだった。しかし......。

 2006年春、カルチョポリ(イタリアフットボール全体に深く関わった詐欺行為)発覚。その後、セリエAは瞬く間に凋落していった。

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