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ルイス・フィーゴ「禁断の移籍」バルサ→レアル・マドリードの真相は闇の中  (3ページ目)

  • 粕谷秀樹●取材・文 text by Kasuya Hideki

【在籍4年間で4回のスクデット】

 1998-99シーズンのラ・リーガを制した時、バルセロナの市庁舎で「腰抜けマドリー、俺たちの前に跪(ひざまず)きやがれ!」と叫んだスーパーヒーロー(フィーゴ)が、まさかの怨敵に去っていった。尊敬と憧憬が、一瞬にして憎悪に変わる。「裏切り者」「守銭奴」「死刑」といった落書き・バナーが町中に掲げられた。

 フィーゴの移籍から2年が過ぎた2002年のカンプ・ノウでのクラシコでも、ライターやゴルフボール、使い古した携帯電話、ウィスキーのボトル、挙げ句の果てには豚の頭がピッチに投げ込まれた。ネガティブな感情は、とどまるところを知らない。

 フィーゴ事件の真相は、いつになったら明らかになるのだろうか。当事者が依然として感情的になっているため、このまま闇に葬られるのかもしれない。

 ただ、レアル・マドリード移籍後のフィーゴは、ジネディーヌ・ジダン、ロベルト・カルロス、デビッド・ベッカム、ロナウドなどとともに「ロス・ギャラクティコス(銀河系軍団)」の一員として大活躍した。2度のラ・リーガ、チャンピオンズリーグを制し、2001年にはFIFA最優秀選手賞も受賞している。

 一方で同時期のバルセロナは、解任したルイ・ファン・ハールを呼び戻したり、この指揮官と対立したリバウドが退団したり、暗黒期を迎える。結果、5シーズンに渡って無冠を味わった。成績上の勝者は明らかである。

 2005-06シーズン、レアル・マドリードを退団したフィーゴは、インテル・ミラノに新天地を求めた。33歳にして初のセリエA。心が躍る。

 もちろん、ピークは過ぎていた。体力の衰えは否めず、全盛期を知る者にとっては少なからぬ寂しさもあった。

 だが、長年のキャリアで培った駆け引きは攻撃のリズムを生み、緩急自在のパスコントロールは右サイドから、中盤センターから決定機を創出した。在籍4年間で4回のスクデットだ。スーペルコッパ・イタリアーナを3回、コッパ・イタリアも1回制している。大成功のエピローグと言っていいだろう。

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