ルイス・フィーゴ「禁断の移籍」バルサ→レアル・マドリードの真相は闇の中 (2ページ目)
【フィーゴの日本料理店を襲撃】
移籍早々、ポルトガル人の右ウイングは異彩を放った。リバウド、パトリック・クライファートとともに構成する3トップは自由なアイデアに満ちあふれ、世界中の支持を集めた。めくるめく流れるパス・フットボールのアイコンこそが、フィーゴが繰り出す鮮やかなパスであり、芸術的なシュートだった。
移動ではとなり同士の座席、ホテルでも同室だったジョゼップ・グアルディオラのサポートも頼もしい。フィーゴとバルセロナは、我が世の春を長く謳歌すると思われたのだが、"例の事件"が勃発する......。
2000年7月、フィーゴはバルセロナの最大のライバルであるレアル・マドリードへ電撃移籍を果たす。この「禁断の移籍」は、世界中のサッカーファンを大いに驚かせた。
「あのエージェントは......なんて名前だったかな。ああ、ジョゼ・ヴェイガか。汚い駆け引きばかりで信用ならなかった」(ジョアン・ガスパール/当時バルセロナ会長)
「契約の見直しはしないとか、交渉の余地はないとか、(バルサは)我々を見下していた」(ヴェイガ)
「正当に評価してくれなかったのだから、他クラブのオファーを検討するのは当然だ」(フィーゴ)
彼らはいまだ和解していない。いわゆる「フィーゴ事件」から四半世紀が経過した今でも、それぞれの主張を繰り返すだけだ。レアル・マドリードの会長選挙に立候補したフロレンティーノ・ペレスがフィーゴ獲得をぶち上げ、ヴェイガに接触した事実が明らかになったことも、火に油を注いだ。
さらにメディアも、この対立を積極的に煽った。"マドリード陣営"とも言える『MARCA』が「すでに契約済み」と報じれば、バルセロナに近い『SPORT』は「残留決定」と応酬する。引退後のフィーゴが「メディアにも責任がある。裏も取らずに話を大きくしていたからね」とこぼしていたが、いわゆる「飛ばし記事」も少なくなかったのだろう。
さらに、根拠のないデマに踊らされたバルサの一部サポーターは、レアル・マドリードでフィーゴが着る背番号10のユニフォームを燃やし、バルセロナ市内でフィーゴが経営していた日本料理店を襲撃する。ヘレン夫人は「Fワード」で罵られもした。
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