プレミアリーグでブラジル人選手が年々増加して巨大勢力に 最初の選手は誰だった? (2ページ目)
【ミドルズブラの絶対的なアイドル】
それでも、ジュニーニョは不平不満を一切もらさず、チームのために持てる力を発揮した。
1996-97シーズン、力及ばずチャンピオンシップに降格した際は、ひとりで全責任を負うかのように腰からピッチに崩れ落ちた。その姿に、人目もはばからず慟哭するサポーターも少なくはなかった。
心、ひとつに──。彼は今でも、ミドルズブラの絶対的なアイドルだ。
イングランド人に愛されたジュニーニョ・パウリスタ photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る ただ、ジュニーニョの例があっても、あとにプレミアリーグで成功するブラジル人は現れなかった。専属通訳を用意できなかったクラブ側にも責任があるとはいえ、プライベートが荒れたり、無断で練習に遅刻したり──。郷に入るのは、なかなか難しい。
この流れをせき止めたのが、アーセナルのアーセン・ベンゲル監督である。
1999年夏、コリンチャンスからシウヴィーニョを獲得。アップダウンを頻繁に繰り返せる体力を有した左サイドバックは、攻撃的フットボールを懸命に支えた。
2001年1月にコリンチャンスからやってきたエドゥ、およそ2年半後にアトレティコ・ミネイロから移籍したジウベルト・シウバも、アーセナルの成功例だ。「負傷や対戦相手との相性などで試合に出られなくても、自ら進んで同僚をサポートする献身的な姿勢は好ましい」と、ベンゲルも全幅の信頼を寄せていた。
また、ブラジル人選手が扱うポルトガル語と、ベンゲルの母国語であるフランス語は同じインド・ヨーロッパ語族の中でより近い言語と言われている。一部の語彙や文法に類似性が確認されているため、ポルトガル語と英語よりも言葉の障壁が低かったのではないだろうか。
当時、毎シーズンのようにアーセナルと覇権を競ったマンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン監督は、英語しか話さない。サー・アレックスは選手をプライベートまで厳格に管理する。よってブラジル人との相性はよろしくない。成功例のファビオとアンデルソンも、アーセナルのエドゥやジウベルト・シルバほどには貢献できなかった。
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