三笘薫も久保建英も眼中なし 144億円積んでも袖にされた金満サウジ移籍のブーム終焉も近い (3ページ目)
【サウジ脱出を図るスター選手も続々】
しかし近年もこれまで、ブルーノ・フェルナンデス(マンチェスター・ユナイテッド)、ソン・フンミン(トッテナム)、パウロ・ディバラ(ローマ)と、SPLから届いた巨額のオファーを否定した選手は少なくない。
ましてや、西側とサウジアラビアでは文化圏が異なる。気候も違う。家族が即フィットするのは難しい。「それなら単身赴任で」は乱暴な考え方であり、フットボールに限らず、多くの選手が家族との団らんによって英気を養う。家族は選手(主人)を傍らに安心する。
生活の土台が不安定になる公算大のサウジアラビアで、成功を収めるのは至難の業だ。
ユルゲン・クロップ体制下のリバプールで長くキャプテンを務めたジョーダン・ヘンダーソンはアル・イテファクにまったく馴染めず、わずか半年でアヤックスに移籍した。セビージャとバルセロナで一世を風靡したイヴァン・ラキティッチはアル・シャバブにフィットできず、母国クロアチアのハイデュク・スプリトに新天地を求めた。
さらに、セコ・フォファナ(前RCランス)はアル・ナスルからレンヌへ、ルイス・フェリペ(前ベティス)はアル・イテハドからマルセイユへ、ジョタ(前セルティック)はアル・イテハドからレンヌを経て今冬セルティックに復帰した。SPLからヨーロッパに戻った実力者も少なくない。そしてネイマール(前パリ・サンジェルマン)も、アル・ヒラルから古巣サントスに帰っていった。
また、カリム・ベンゼマ(レアル・マドリード→アル・イテハド)、エンゴロ・カンテ(チェルシー→アル・イテハド)、アイメリク・ラポルテ(マンチェスター・シティ→アル・ナスル)といった超一流も、何度となくSPL脱出を図っている。外国人枠の関係でロベルト・フィルミーノ(前リバプール)を登録外としたアル・アハリの判断も大きなイメージダウンだ。
アル・ナスルのクリスチャーノ・ロナウド(前マンチェスター・ユナイテッド)が「パリ・サンジェルマンがほぼ独占するフランスより、サウジアラビアのほうがレベルは高い」と抗っても、セルフプロデュースに長けたスーパースターならではのリップサービスでしかない。
3 / 4