プレミアリーグを彩るマンチェスターのふたつのクラブ ユナイテッドとシティの興亡
連載第33回
サッカー観戦7000試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」
なんと現場観戦7000試合を超えるサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。
今回は、イングランド・マンチェスターのふたつのクラブ、マンチェスター・ユナイテッドとマンチェスター・シティについて。現在のプレミアリーグのメガクラブとなる前の、両クラブの興亡を振り返ります。
【デニス・ロー氏が死去】
1月17日にデニス・ロー氏が亡くなったというニュースが届いた。
デニス・ローと言っても若い読者の方々はほとんどご存じではないだろうが、1960年代から70年代前半にかけて、マンチェスター・ユナイテッドで活躍した点取り屋だ。
1968年のマンチェスター・ユナイテッド。前列左から3番目がデニス・ロー氏 photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る 僕は、1試合だけだが、ローのプレーをスタジアムで見たことがある。1974年の西ドイツW杯のザイール戦。ローがスコットランンド代表としてW杯に出場した生涯で唯一の試合だった。場所はドルトムントのヴェストファーレン・シュタディオン(ジグナル・イドゥナパルク)である。
16年ぶりのW杯出場となったスコットランドはザイールから前半のうちに2点を奪うと、後半は力をセーブしながら戦って2対0で完勝した。
しかし、このグループ2ではスコットランドとブラジル、ユーゴスラビアの間の試合がすべて引き分けに終わり、順位は得失点差で決まることになった。その結果、ザイールから9点を奪ったユーゴスラビアが1位、3得点のブラジルが2位。2点だけに終わったスコットランドは3位となり、無敗のまま大会を去った。
そして、すでに34歳になっていたローが出場したのは、ザイール戦だけだったのだ。
このように、代表では大きなタイトルを取れなかったローが輝いたのは、ユナイテッドでだった。
日本のサッカーファンが海外の試合映像を見ることができるようになったのは、東京12チャンネル(現・テレビ東京)の『三菱ダイヤモンド・サッカー』という番組が始まってからだった。主に当時のイングランドのトップリーグだったフットボールリーグ(FL)の試合が放映されていた。
テレビの映像をフィルムで記録した映像だったから、画質はよくなかったし、1試合を2回に分けて1週目が前半、翌週に後半という悠長な番組だったが、僕たちはテレビの前に座って食い入るように画面に見入ったものだ。
番組が始まったのは1968年。ユナイテッドの黄金期で、最も印象深かったのは1968年にロンドン・ウェンブリーで行なわれたチャンピオンズカップ決勝。ユナイテッドは"黒豹"エウゼビオを擁するポルトガルのベンフィカを破って優勝した。
1対1のまま延長に入り、ジョージ・ベスト、ボビー・チャールトン、ブライアン・キッドという3人のスターが連続ゴールを決めて、ユナイテッドは4対1でベンフィカを破った。
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著者プロフィール
後藤健生 (ごとう・たけお)
1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2022年12月に生涯観戦試合数は7000試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。