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サッカー日本代表とアーセナルの長くて深い関係 56年前には国立競技場で対戦 (4ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【1930年代には日本で紹介されていた】

 1930年代の日本ではスポーツメディアが発達し始めており、スポーツ雑誌には米国のメジャーリーグ・ベースボール(MLB)やイングランドのFLのことが写真入りで紹介されるようになっており、当然、黄金時代を迎えていたニューヨーク・ヤンキースやアーセナルのことも大きく取り上げられた。

 1968年にアーセナルが来日した時、30年前に紹介されたアーセナルを覚えていた人も多かったはずだ。

 来日後の練習でボール拾いを手伝った僕にとっても、アーセナルとの関わりはその後も続いていった。たとえば、僕が初めて海外でサッカーの試合を観戦したのもアーセナルの試合だった。

後藤氏が1972年に観戦したアーセナルvsマンチェスター・シティのチケット(画像は後藤氏提供)後藤氏が1972年に観戦したアーセナルvsマンチェスター・シティのチケット(画像は後藤氏提供)この記事に関連する写真を見る 1972年の秋、当時フジテレビで放映されていた「クイズグランプリ」という番組で優勝し、賞品の欧州旅行に行くことになった。旅行日程を見ると、週末にロンドンに立ち寄ることになっていた。そこで、FLのスケジュールを調べてみたらアーセナル対マンチェスター・シティという好カードがあったのだ。

 アーセナルは1970/71シーズンにはリーグとカップのダブル・チャンピオンを成し遂げていた。現在と違って、戦力が拮抗していた当時のイングランドでダブルというのは、至難の業。それまではダブルを達成したのはトッテナムだけという、まさに偉業だった。

 そして、1971/72シーズンではマンチェンスター・シティが4位でアーセナルが5位。いずれにせよ、アーセナル対マンチェスター・シティは超好カードだった。

 会場は1913年に完成した有名なアーセナル・スタジアム、別名「ハイバリー」。もちろん、地下鉄の「アーセナル」駅から向かった。

 初めて見るイングランドのフットボール......。両ゴール前をスピーディーに往復する攻防を見て、僕は日本でやっているサッカーとは別のスポーツであるような気がした。そして、その後もハイバリーや現在のエミレーツ・スタジアムで、僕はアーセナルの試合は何度も観戦することになるのだった。

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著者プロフィール

  • 後藤健生

    後藤健生 (ごとう・たけお)

    1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2022年12月に生涯観戦試合数は7000試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。

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