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サッカー日本代表とアーセナルの長くて深い関係 56年前には国立競技場で対戦 (2ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【1965年に初来日。日本代表と対戦】

 しかし、アーセナルと日本サッカー界とのファーストコンタクトは、これよりはるかに遡る。

1968年に来日した対戦したアーセナルvsサッカー日本代表戦のチケット(画像は後藤氏提供)1968年に来日した対戦したアーセナルvsサッカー日本代表戦のチケット(画像は後藤氏提供)この記事に関連する写真を見る 1968年5月にアーセナルが来日して、メキシコ五輪を数カ月後に控えた日本代表と3試合を戦ったのである。

 欧州のプロチームが初めて来日したのは1966年のことだったが、この時やって来たのはスコットランドのスターリング・アルビオンという、1部と2部を行ったり来たりしている無名の地方クラブだった。それに対して、アーセナルというのは当時イングランドのトップリーグだったフットボールリーグ(FL)1部の超名門だった。

 東京・国立競技場での第1戦では開始わずか13秒でボビー・グールドに先制点を決められるなど3失点したものの、8分には渡辺正の右からのクロスを釜本邦茂が豪快なダイビングヘッドで一時は同点とするなど、日本も健闘。福岡での第2戦でも日本は0対1と食い下がった。

 そのため、国立に戻った最終戦には有料入場者だけで5万人を超える観衆が詰めかけたが、この試合ではアーセナルが力の差を見せつけて4対0で勝利した。

 とにかく、まだ欧州のサッカーを映像で見る機会すらほとんどなかった時代に、アーセナルは強烈な印象を残して日本を去った。

 もちろん僕も東京での2試合を観戦したし、来日直後に東京・世田谷区内のグラウンドで行なわれたアーセナルの練習も見学に行った。ゴール裏で見ていたらシュート練習が始まり、僕はそこでボール拾いを手伝うことになった。まだ、そんな牧歌的な時代だったのだ。

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