サッカー日本代表とアーセナルの長くて深い関係 56年前には国立競技場で対戦
連載第21回
サッカー観戦7000試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」
なんと現場観戦7000試合を超えるサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。
今回はサッカー日本代表の冨安健洋が所属する、プレミアリーグの人気クラブ、アーセナルと日本サッカーについて。56年前に来日して日本代表と対戦するなど、両者の関係には長い歴史があります。
プレミアリーグの名門アーセナル 日本サッカーとは長く深い関係がある photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る
【名古屋の監督あと、22シーズンアーセナルを率いたベンゲル】
日本代表の守備の要、冨安健洋は故障を抱えたままだ。DFでは板倉滉や町田浩樹が成長しており、アジア予選の段階では冨安不在も大きな問題にはならないだろうが、W杯本大会を戦うためには冨安は絶対に必要な戦力。早期復帰を期待したい。
さて、その冨安が所属しているアーセナル。実はこのクラブには、はるか昔から日本との深い関係があった。
1995年から2年間名古屋グランパスエイトの監督を務め、天皇杯でチームに初タイトルをもたらしたアーセン・ベンゲルは、1996年夏に名古屋での職を辞してアーセナルの監督に就任した。
1998年のフランスW杯のあと、日本サッカー協会はベンゲルに日韓W杯を目指す日本代表監督の座をオファーした。だが、名門アーセナルの監督に就任したばかりのベンゲルにとって、再び欧州を離れる選択肢はなかった。
アジアやアフリカで監督としていくら活躍しても、欧州では評価されないからだ。日本で活動していたベンゲルにアーセナルという超名門から声がかかったのは、名古屋の前のモナコ監督時代のベンゲルが高く評価されていたからだった。
日本サッカー協会はそれでもベンゲルを諦めきれず、フィリップ・トルシエという同じフランス出身の指導者にチームを託したものの、もしベンゲルが代表監督就任の意向を示したらトルシエと交代させることにしたと言われている。そして、トルシエもそのことを受け入れていた。
だが、日本側の期待とは裏腹にベンゲルはその後22シーズンにわたってアーセナルを率いることになる(一方、トルシエは若い選手中心のすばらしいチームを作り、日本代表は2002年W杯でラウンド16進出を果たした)。
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著者プロフィール
後藤健生 (ごとう・たけお)
1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2022年12月に生涯観戦試合数は7000試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。