サッカー日本代表とアーセナルの長くて深い関係 56年前には国立競技場で対戦 (3ページ目)
【名将チャップマンが築いた黄金時代】
しかし、僕は実は日本とアーセナルとの縁の始まりは、さらに30年ほど遡るのではないかと考えている。アーセナルの黄金時代の話である。
アーセナルがFL2部に加盟したのは1894年。そして、1部昇格は1904年。FL自体が1888年に発足していることを考えれば、加盟も昇格もかなり遅い。
実は、FLという組織はイングランド北部の工業地帯にあるプロ・クラブが結成したもので、ロンドンなど南部のクラブで初めて加盟したのがアーセナルだったのだ。北部のクラブは選手が労働者階級出身だったので早くからプロ化していたが、ロンドンのクラブは上流階級の紳士たちによるアマチュア・クラブがほとんどだった。
そんななかで、アーセナルはテムズ川に面したウーリッジにあった海軍造兵廠(軍の工場)のチームで、選手の多くはスコットランドの労働者出身だった。それで、彼らはFLに参加したのだ。
黄金時代を築き上げたのは、1925年に監督に就任した名将ハーバート・チャップマンだった。1929/30シーズンにFAカップを初制覇すると、翌シーズンにはFLでも優勝。チャップマンは1934年に急逝するが、1939年に第2次世界大戦が勃発するまでの間にアーセナルはリーグで5回の優勝を飾っている。
チャップマンはアイディアマンでもあった。「赤シャツに白い袖」という独特のユニフォームを考案したのも、そこに背番号を着けさせたのも、スタジアムに夜間照明設備を設置したのも、公共放送BBCによるラジオ生中継に協力したのもチャップマンだった。
さらに、チャンプマンはスタジアム近くの地下鉄駅の駅名を「アーセナル」に変更させている。
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