ユーロ2024制したスペインの象徴 ラミン・ヤマルを生んだ「クライフの遺志」とは
ユーロ2024はスペインの優勝で幕を閉じた。大会を通し、その戦いは実にスペクタクルだった。ジョージアやフランスという手堅いチームに先制を許しながらも、それを逆転するだけの攻撃力を備えていた。
「より多くゴールをしたほうが勝利する」
その単純明快なフットボールの本質を、複雑な定理(例えばハードワークの消耗戦、相手の攻撃を分断するためのマンマークなど)でつまらなくする現代において、そのプレーは燦然と輝いていた。
今大会を彩った17歳のラミン・ヤマルは、スペクタクルの象徴だった。
1ゴール4アシストで最優秀若手選手賞を受賞したラミン・ヤマル(スペイン)photo by Kazuhito Yamada/Kaz Photographyこの記事に関連する写真を見る ヤマルは、相手がどれだけ手ぐすねを引いて守っても、それを軽々と凌駕するひらめきと技術を用い、観客を陶然とさせるアシストやシュートを決めた。ジョージア戦でのファビアン・ルイスのヘディングをお膳立てしたクロス、フランス戦での最年少ゴールになったカットインからの左足シュートは、語り草になるだろう。まるでボールと対話できるようだった。
もうひとり、ダニ・オルモもライン間に神出鬼没で、3試合連続得点で攻撃をけん引した。準決勝のフランス戦で見事な決勝点を決めたが、垂涎のテクニックだった。エリア内でこぼれたボールに反応すると、厳しい体勢ながら完璧にコントロールし、切り込んでからシュート。球体をどう扱うべきか、それを知り尽くしているように見えた。
そして大会を盛り上げた選手たちには、ひとつの共通点があった。ヤマル、オルモだけでなく、他にも多くがFCバルセロナの下部組織「ラ・マシア」の出身者、もしくは出身者の指導を受けた選手たちだったのである。
「バルサはラ・マシア」
かつて、バルサでドリームチームを生み出したヨハン・クライフは高らかに言ったが、その遺志は今も受け継がれていた。
アクロバティックなボレーから"空飛ぶオランダ人"と言われ、指導者としてもその哲学を具現化したクライフ(2016年、68歳で永眠)は、ラ・マシアに自身のサッカーエッセンスをたっぷりと詰め込んでいる。
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著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。