検索

ユーロ2024制したスペインの象徴 ラミン・ヤマルを生んだ「クライフの遺志」とは (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

【メッシを生んだ教え】

「走り続けるのは愚か者。ボールは汗をかかない」
「ボールはひとつ。ボールを持っていれば負けることはない」
「ボールの声を聞け! 創造主になれる」

 クライフはそう言って、徹底的にボールプレーを推奨した。ボールをうまく扱えない選手など、選手としてみなさなかった。ボールを扱うことに優れたものだけがピッチで美しさを表現できたからで、美しさこそが勝利の方程式だったのだ。

「無様に勝つことを恥だと思え」

 クライフはそう言って、激しい言葉も残している。そこまで美しさを追求することによって、選手を啓発し、挑戦精神を促した。たとえばラ・マシア時代のジョゼップ・グアルディオラには「お前はワンタッチでボールを扱うならすばらしい。ツータッチはほどほど。スリータッチなら、おばあちゃんと変わらない」と最も難しいワンタッチプレーに挑ませ続けた。

 クライフにとって、ボールを持つことを放棄し、ただ蹴り込むプレーなどサッカーへの冒涜に等しかった。サッカーをはなはだしく退化させる、「恥ずべき行為」と断じた。なぜなら、相手次第で受け身に回って、ひたすらボールを追いかけ、這いずり回るようにして得る勝利は、特定の人にしか感動を与えないし、何より選手を成長させないからだ。

 エキセントリックな"神の教え"こそが、ラ・マシアという独自の土壌を作り出した。

 もしラ・マシアがなかったら、リオネル・メッシは生まれていない。グアルディオラ、シャビ・エルナンデス、アンドレス・イニエスタ、セルヒオ・ブスケツも同様だろう(細身や小柄という理由で、ボールプレーヤーとしての本質が見逃されていた可能性が高い。ブスケツも当初は猫背の地味な選手で、父がバルサのGKだったことから「親の七光り」と疎んじられていた)。

 モロッコ移民の子であるヤマルも、どうなっていたかわからない。

 オランダのベスト4進出に大きく貢献したシャヴィ・シモンズも、ラ・マシア出身者である。凡庸で退屈なロナルド・クーマン監督のサッカーに、一筋の光明を与えていた。準決勝のイングランド戦で見せた閃光のようなシュートは、ラ・マシアで培った高い技術の賜物だった。

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る