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槙野智章が欧州でプレーしてみたら驚いたこと 海外組が見えないところで戦っている文化ギャップとは (4ページ目)

  • 吉崎エイジーニョ●取材・文 text by Yoshizaki Eijinho

【試合後に自分の考えを述べる】

 ドイツでの公式戦デビューは、かなり早い段階でやってきた。練習に合流して2、3日後に監督から「週末の試合、いけるか?」と聞かれた。

「そりゃいける、と答えますよね」

 槙野が合流した時のケルンは、2部自動降格圏ギリギリの16位にあった。5万人収容のホームスタジアムは毎試合のように満員になるが、1998-99シーズン以降は毎年のように降格・昇格を繰り返すような状態だった。

 デビュー戦の相手は、ザンクトパウリ。アウェーゲームだった。

「合流から5日後ぐらいだったかな。はい。しかも、めちゃくちゃ大事な残留争いしてる相手との対戦でした。ザンクトパウリがひとつ下の17位でした。しかもケルンはアウェーでこの相手にほぼ勝っていなかった、と聞かされていました」

 試合前日の夜、ザンクトパウリのホームタウン、ハンブルクに着いた。ホテルでの前日ミーティングでは、部屋を真っ暗にする時間帯があった。

「明日はこういう雰囲気で試合をやるんだぞ、って言われて、ザンクトパウリのスタジアムの雰囲気と音をミーティングルームでスクリーンに映し出したんですよ。ドクロのマークが有名なチームじゃないですか。そのマークもモニターに出して、音をガンガンかける。モニターのなかの世界は、ものすごい雰囲気でしたよ」

 そのデビュー戦は、0-3で敗れた。

 自分自身がどう考えているのか。それを問われる機会は、こういった試合後にも訪れた。

 監督がロッカールームを離れたあと、選手同士で「めちゃくちゃ熱く」話し合った。あのシーンはこうだった、どうだったという風に。

 その後、一人ひとりが「自分の意見を言おう」という話になった。槙野はメンバー全員の前でこう話したことを、よく覚えている。

「今日は戦術がバラバラで、戦う姿勢と気持ちが(プレーで)あまり見られなかった」

 ただし、「僕が話したのは最後のほうだったので、もう意見がほぼ全部出てたんですよ。みんなすでに言っていたことなんで、今さらまだ味方選手全員の名前がわかっていない俺が言っても、みたいな」

 それでも言うことが大事だった。ドイツでは黙っていることは「何も考えていないこと」「考えを言葉にする努力を怠っていること」を意味する。語らずして察してもらえるという以心伝心の概念は、あまり存在しない。

後編「槙野智章が考える『ミスを認めない、謝らない』の扱い方」につづく>>

槙野智章 
まきの・ともあき/1987年5月11日生まれ。広島県出身。サンフレッチェ広島ユースから2006年にトップチームに昇格。DFとして攻守に渡る活躍を見せ、2011年からケルン(ドイツ)、2012年から浦和レッズ、2022年にはヴィッセル神戸でプレー。J1通算415試合出場46得点を記録。Jリーグベストイレブンには3度選ばれた。日本代表では国際Aマッチ38試合出場4得点。2018年ロシアW杯に出場した。2022年の現役引退後は、タレント、解説者、指導者として活躍中。

著者プロフィール

  • 吉崎エイジーニョ

    吉崎エイジーニョ (よしざき・えいじーにょ)

    ライター。大阪外国語大学(現阪大外国語学部)朝鮮語科卒。サッカー専門誌で13年間韓国サッカーニュースコラムを連載。その他、韓国語にて韓国媒体での連載歴も。2005年には雑誌連載の体当たり取材によりドイツ10部リーグに1シーズン在籍。13試合出場1ゴールを記録した。著書に当時の経験を「儒教・仏教文化圏とキリスト教文化圏のサッカー観の違い」という切り口で記した「メッシと滅私」(集英社新書)など。北九州市出身。本名は吉崎英治。

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