ブッフォン「なぜエコノミー? 安いからさ」 現役を引退した「史上最高のGK」の素顔 (3ページ目)

  • パオロ・フォルコリン●文 text by Paolo Forcolin
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

【イタリア代表のチームマネージャーに】

 考えてもみてほしい。選手として絶頂期にあるGKが、唯一の休日を返上して子どもたちの笑顔のために長旅をしたのである。こんな選手が他にいるだろうか。

 もうひとつ別のエピソードも語っておきたい。2006年の夏のことだ。ユベントスは「カルチョポリ」と呼ばれる八百長事件のペナルティとして、翌2006-2007シーズンはセリエBでプレーしなければならなかった。監督のファビオ・カペッロを筆頭に、多くの選手がチームを後にしたが、残った選手もいた。そのなかにドイツW杯で優勝したばかりのアレッサンドロ・デル・ピエロとジジ・ブッフォンがいた。

 そのシーズン、ジジが信じられないようなスーパ-セーブを見せ、チームを救った試合があった。試合後、話を聞こうとした私に、彼はこう言ってきた。

「セリエBのGKってのも、悪くないもんだな!」

 これこそがジジだった。

 彼に、生涯で一番難しかった試合はどれかと聞いたことがある。彼はクラブ、代表を含め1175の公式戦に出場している。即答するのは難しいかと思われたが、彼は迷うことなくこう答えた。

「ユベントス対ミランのチャンピオンズの決勝(2003年5月28日)だ。右サイドからそれほど高くないクロスがゴール前に上がった。俺の前にはふたりのDFがいて、そのひとりはチロ・フェッラーラだった。俺はとっさに動くが、ボールが見えない。ゴール前にはミランの選手も詰めてきていて、そいつが思いきりゴールの隅を狙ってボールをヘッドで叩きこんだ。そう、ピッポ(フィリッポ)・インザーギだ。どうやったのかわからないが、俺は本能のままに飛んで、どうにかそれを止めた。ピッポは今でも俺に会うと、『どうやってあのシュートを止めたんだ』って聞いてくるよ」

 ブッフォンの人生はきれいな円を描いている。キャリアはパルマで始め、パルマで終えた。そしてキーパーグローブを外したところで、また別の大きな円を描くことになった。イタリアサッカー協会は、彼にアッズーリ(イタリア代表)のチームマネージャーのポストをオファーしてきたのだ。それはつい最近、永遠に我々の元を去ってしまったジャンルカ・ヴィアリが務めていたポストであった。

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