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W杯優勝メンバーが元チームメイト、強盗に銃を突きつけられたことも... アルゼンチンでプロ契約した日本人が語るサッカー大国のリアル (4ページ目)

  • 栗原正夫●文 text by Kurihara Masao
  • photo by Goto Kou

【バスで銃を突きつけられて...】

「僕は素行が悪かったし、高校時代も干されがちで、日本にいたらプロサッカー選手にはなれていなかったと思います。
 
 確かにサッカーをやりながらレストランでウェイターをしていた頃はキツかったです。朝8時から11時くらいまで練習して、そのままお店に行って15時くらいまで仮眠。そこから23時まで働き、また翌朝って感じでしたから。そのぶん、アルミランテで初めてプロ契約できたときはうれしかった。給料はサッカーとレストランの仕事を掛け持ちしていた頃の5倍くらいになったし、サッカーやってるだけでこんなにお金がもらえるんだって、もう天国に行った気分でした(笑)」

 過酷と思える状況も、後藤は笑みを浮かべながら楽しげに振り返る。

「冬に寮の電気とガスを止められたときは、仲間と深夜に近くの市営スタジアムに潜入して、シャワーを浴びていました。ラシン・デ・マダリアガ時代には5部から6部に降格し、寮から追い出され、2日間ホームレスになったこともあります。

 アルゼンチンでは強盗に遭うのも珍しくなく、街中でバスのいちばん後ろの席に乗っていたら2人組の男にいきなり銃を突きつけられて、財布やスマートフォンなど身の回りの物を一式奪われたこともありましたね(笑)」

 近年は失業率や貧困率も増加の一途で、決して治安がいいとは言えないアルゼンチンの首都ブエノスアイレスで、後藤はいまも路線バスなどで練習場に通うなど逞しく生きている。

「ブレノスアイレス駐在の日本人の方は、みんな市内のいいところに住んでいますが、僕の住んでいるところは郊外で治安もよくなくて。昔はお金がなくてその辺で知り合った仲間とストリートの賭けサッカーに参加して生活費の足しにしていたときもあります。プロサッカー選手を目指して来たのに、そんなことをやっていたのは僕くらいでしょうね(笑)」

 いつかボンボネーラのピッチに立って、南米王者を決めるリベルタドーレス杯に出場したいという当初からの夢はいまも捨てていない。多くの日本人選手が欧州主要リーグやチャンピオンズリーグ出場を夢と語る時代に、あえてアルゼンチンやリベルタドーレス杯にこだわるのが、後藤らしさなのだろう。

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