三笘薫そっくりのプレーぶり かつてイングランドに日本のサッカーファンをうならせた左ウイングがいた (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by AFLO

バレンシアで活躍したアルゼンチン代表キリ・ゴンサレスバレンシアで活躍したアルゼンチン代表キリ・ゴンサレスこの記事に関連する写真を見る【日本語を喋るオランダ代表】

 見かけは強引なタイプに見えるキリ・ゴンサレスだが、コンビネーションプレーが得意で、バレンシアではイタリア代表SBアメデオ・カルボーニとの連係で、左サイドを支配した。レアル・マドリードに0-3で完敗した1999-2000シーズンのCL決勝は、そのカルボーニが累積警告で欠場したことが痛手となった。

 アルゼンチン代表としては2002年日韓共催W杯に出場している。1998年フランスW杯(初戦で日本代表と対戦)は、監督のダニエル・パサレラが守備的サッカーの信奉者で、5バックで戦う布陣だったため選考外となったが、マルセロ・ビエルサのもと、攻撃的な3-4-3で臨んだ2002年W杯は左ウイング、あるいはその1列下でプレーした。

 ビエルサとは相性がよく、その2年後に行なわれたアテネ五輪にもオーバーエイジ枠で出場。ここでは3-4-3の4の左で出場。左ウイング、セサール・デルガドとダブルウイングのような格好で、左サイドを制圧した。チームは金メダル。グループリーグ落ちした2002年W杯の借りを返した。

【12位】ボウデヴィン・ゼンデン(オランダ)=左利き

 左利きの左ウイング。出身はPSVで、1997年オランダの年間最優秀若手選手に選ばれると、PSV→バルサという当時の出世の黄金ルートを歩んだ。174センチと小柄だが、がっちりとした体型でドリブルもパワフルだった。バルサでプレーする一流選手ともなれば近寄りがたい存在となるものだが、ゼンデンは常にニコニコと陽気で笑顔を振りまくフレンドリーなタイプだった。

 ある時、向こうから、こちらが日本人であると見るや「コンニチワ」と話しかけてきた。「どうして日本語?」と尋ねれば、「オランダでずっと柔道を習っていたんだ。カトウ先生という日本人の柔道家から」「黒帯だよ」と、ポーズ入りで胸を張った。腰の落とし方、股の開き方、DFと対峙する姿勢など、確かに身のこなしは柔道的で、全体的に親近感を抱かせるウイング選手だった。

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