三笘薫に連なる特別なポジションの名手たち 独断で選ぶ「世界の左ウイング」古今の歴代ベスト20 (2ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by AFLO

【その登場がドイツ代表を復活させた】

現在はグールニク・ザブジェ(ポーランド)に所属するルーカス・ポドルスキ現在はグールニク・ザブジェ(ポーランド)に所属するルーカス・ポドルスキこの記事に関連する写真を見る【19位】エデル(ブラジル)=左利き

 1970年W杯のチームを最強に推す声が多いブラジル代表だが、1982年ブラジル代表も捨てがたい魅力を誇る。脚光はソクラテス、ジーコ、ファルカン、トニーニョ・セレーゾの4人がボックス型の中盤を構成する"黄金のカルテット"に集まった。フランスの四銃士(ミシェル・プラティニ、ジャン・ティガナ、アラン・ジレス、ベルナール・ジャンジニ)とともに、その後の日本サッカー史に大きな影響を与えた。これを機に日本には中盤全盛の時代が到来した。

 4人がボックス型に構える4バックと言えば、通常、FWは2トップの編成だ。1トップ+1トップ下の関係もあるが、この時のブラジルは1トップ(セルジーニョ)+左ウイング(エデル)という変則型だった。エデルは2トップの一角というより左ウイング然と構えたのだ。長髪を靡かせる細身の左利き。強シュートが自慢だった。

 セビージャのラモン・サンチェス・ピスファンで行なわれた1982年スペインW杯開幕戦。優勝候補のブラジルはソ連相手に苦戦した。先制点を奪われ、なんとか同点に追いついたものの、終了3分前まで試合は1-1で推移。そこで飛び出したのがエデルの一撃だった。30メートル強のロングシュートを電光石火、矢のごとく突き刺した。

 ブラジルサッカー史をたどると、その年代年代に左利きの強シューターが存在する。先述のリベリーノ以下、ブランコ、ロベルト・カルロスと枚挙にいとまがないが、エデルもその系譜に加えることができるひとりになる。

【18位】ゴードン・ヒル(イングランド)=右利き

 1975-76シーズンからマンチェスター・ユナイテッドで3シーズンプレーした左ウイング。低迷していた成績は、ゴードン・ヒル、さらには右ウイングにスティーブ・コッペル(右利き)が座ると急上昇。小兵の両ウイングがドリブルでライン際を駆け上がる姿に目は釘づけになった。

 イングランドのたいていのスタジアムがそうであるように、オールド・トラッフォードには客席とピッチを隔てるフェンスがない。広告フェンスも当時はなかった。さらにピッチの中央部がこんもりと盛り上がるかまぼこ形であることも手伝い、映像にも写真にもドリブルするボールの背後に観衆の顔が写り込んでいた。こちらの目に眩しく映った理由だ。

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