「たった一つのゴールで人生が変わる」。廣山望は海外5カ国でプレー「価値観がひっくり返った」数々の経験 (4ページ目)

  • 篠 幸彦●取材・文 text by Shino Yukihiko
  • photo by AFLO

いろいろな経験が本当に面白かった

――セロ・ポルテーニョのあと、ブラガ、モンペリエとプレーされて、2004年に東京ヴェルディへの移籍で4年ぶりにJリーグに帰ってきました。いろいろと経験されてきて、久しぶりのJの舞台はどう感じましたか?

 改めてJリーグはしっかりしているし、日本に合っていると思いました。いない間にかなり発展していて、世界に誇れるシステムだったり、サポーターの雰囲気だったり、いろんな人の積み上げによってここまで来たんだと感じました。どちらがいいというわけではなく、南米とは違うものだけど、独自のものとして発展してきたのは誇らしいと思いました。

――帰国後Jリーグで7シーズンプレーしたあと、引退間際の2011年にアメリカの独立リーグのリッチモンド・キッカーズへ移籍されました。アメリカを選んだ理由はどんなところだったのでしょうか?

 一つは単純にトライアウトがあったからですね。それと南米、ヨーロッパとプレーしてきて、それらとはまったく違う異質なシステムで成り立っていると聞いて、せっかくいろいろと経験してきて、そこが抜けるのはもったいないと。

 Jリーグで7シーズンプレーして、いろんな意味で価値観や基準がフィットしてきていました。よい部分もありながら、今後を考えたらまた違う経験をしたい思いもありました。

――独立リーグとはいえ、エンタメの本場であるアメリカは日本や南米、ヨーロッパとは違うものがありました?

 向こうでは毎試合、国歌が必ず流されるんですね。アメリカはいろんな国の人が住んで成り立っているわけじゃないですか。人種も違えば、宗教も違う、背景もバラバラ。そうしたなかで国歌を聞いてから試合をするのは、アメリカならではだったと思います。

 はじめはなんとなく聞いていたんですけど、1、2年住んでいると、国歌を聞くとジーンと来るというか。そこに住んでいる実感をすごく感じられて、いい経験だったと思います。

 確かにサッカー的な経験値としては低かったかもしれないですけど、最後にアメリカでの生活でもう一度自分の基準をひっくり返されて感じたことのほうが、今の立場になって生きていて、得たものは大きかったなと思います。

――改めて振り返ってこれだけグローバルに活躍されてきたわけですが、ご自身ではどんなキャリアだったと感じていますか?

 面白かったのは間違いないですね。世界中に知り合いが増えて、どこへ行くのも知っているところに行くような近さがあります。サッカー面でのこだわりとか、思い入れはあまりないというか。それ以上に、そこにまつわる背景とかを生で感じられた経験は、何にも代えがたいものがあります。

 そういう経験ができたのは本当に面白かったし、今の自分がいろいろと考えたり、判断する時の支えになっていると思います。

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廣山望 
ひろやま・のぞみ/1977年5月6日生まれ。千葉県出身。習志野高校から1996年にジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド千葉)に入団し、1年目からMFのレギュラーとしてプレー。2001年にパラグアイのセロ・ポルテーニョに移籍し、国内リーグやコパ・リベルタドーレスで活躍して注目を集めた。その後スポルチ・レシフェ(ブラジル)、ブラガ(ポルトガル)、モンペリエ(フランス)と渡り歩き、2004年8月に東京ヴェルディに移籍してJリーグ復帰。セレッソ大阪やザスパクサツ群馬でもプレーし、最後はアメリカのリッチモンド・キッカーズで2シーズンプレーした。2012年の現役引退後は、指導者の道へ進み、現在はJFAアカデミー福島と、育成年代の日本代表のコーチを務める。

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