「たった一つのゴールで人生が変わる」。廣山望は海外5カ国でプレー「価値観がひっくり返った」数々の経験 (2ページ目)

  • 篠 幸彦●取材・文 text by Shino Yukihiko
  • photo by AFLO

パラグアイで価値観や生活観がひっくり返った

――2001年にパラグアイのセロ・ポルテーニョに移籍されるわけですが、パラグアイを選んだ理由はあったのでしょうか?

 移籍のチャンスがあったから、パラグアイに行ったというだけですね。本当にどこでもよかったというか、ある程度の国だったらどこへ行っても文化だったり、サッカーの質だったり、日本にはないものがあるといった確信がありました。それからなにより日本を出ることのほうが大事でしたね。でも結果的にすごくいいところへ行けたと思います。

――パラグアイでの1年目を振り返るとどんなシーズンでした?

 日本での生活から、ひっくり返るぐらいの価値観や生活観、あらゆることが変わったのはよかったですね。逆に日本と比較できる部分が多ければ、ひょっとしたら1年過ごしたらどっちがいいのかみたいな話になっていたかもしれない。でもまったく違う世界があったことで、その後のブラジルやポルトガル、フランスを選択しやすかった。そういった意味では、パラグアイに行けたのは本当に大きかったです。

――まったく価値観が違うというところで、生活への適応には苦労したこともありました?

 日本では、どちらかと言えば理詰めで考えるところが自分の強みだったんですけど、それが意味ないと感じましたね。自分が持っている価値観がまったく通用しないところでした。

 はじめは言葉も思うように通じなかったんですけど、戸惑っていたり、困っている人を、向こうの人たちは相手をしてくれるんですよね。わからないことがあったら「ほかにやることないし」と、わかるまでつき合ってくれるんですよ(笑)。これがヨーロッパのトップリーグだったら、置いていかれていたかもしれない。大変なことはありましたけど、それにすごく助けてもらいました。

――以前、「日本では、自分が一番大切にしなければいけないこと以外に、かなりパワーを使っていた」と。それに海外に行って気づけたと話されていました。それは具体的にはどういうことだったのでしょうか?

 わかりやすく言えば、サッカーだけで結果を出すのが大事で、それ以外はまったく気を張らなくていい環境だったことですね。日本では若手ながら中堅的な役割、責任を与えてもらえて、地元出身でもあり重宝してもらえました。それはいい意味で大事にしていたし、必要だった部分ではあると思います。

 でもひょっとしたらあの時、パラグアイに行ったことでちょうどよくそうしたものから外れたのかなと。向こうで得たその感覚は今でも自分を支えているもので、なにが大事で、なにを捨てられるのか。ある意味いい加減になってしまって、迷惑をかけてしまった人もいると思いますが、自分にとって大事なものをはっきりとした上で行動を起こせるのは、自分の強みだと思っています。

 パラグアイで自分のなかの基準が変わってしっかりと土台を作れたことで、どこへ行っても同じくらいよい経験ができたと思います。実際、ポルトガルやフランスでは、その土台がなければ上に乗らなかった経験ばかりで、今もその土台に乗っている部分があります。

 日本での5年、もっと言えばそれまでの18年間の日本での生活が無駄だったわけではなく、そこで自分が築き上げたものがあったからこそ、パラグアイでいいものに作り変わったと思います。今の指導者の仕事にもうまく繋がっていると感じていますね。

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