ドイツ代表はなぜ強いのか。プラティニのフランスもお手上げだった全盛時代 (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 赤木真二●写真 photo by Akagi Shinji

ドイツ代表の全盛期とは

 1-1から延長戦に突入。その前半にフランスが2ゴールを挙げ3-1とした時には、さすがに西ドイツの勝利を予想する人は少なかった。だが、カール=ハインツ・ルンメニゲが1点差とするゴールを挙げると、試合の様相は一転する。ピッチには攻める西ドイツ、守るフランスの構図が鮮明に描かれた。フランスは蛇に睨まれたカエルと化し、次第に身動きが取れなくなっていく。

 延長後半3分、クラウス・フィッシャーのオーバーヘッドが決まり、試合はPK戦へともつれ込んだ。PK戦を制する精神的なタフさを持ち合わせていたのが、西ドイツであったことは言うまでもない。

 フランスは、1982年スペイン大会で最も美しいサッカーを展開したチームだった。ミシェル・プラティニを中心とする中盤のパス回しは、ジーコを中心としたブラジル以上に新鮮な魅力を放った。

 そんな人気チームを、ドイツが準決勝で蹴散らす様を見て、1974年W杯決勝を想起した人は少なくないはずだ。西ドイツとフランスは、続く1986年メキシコ大会の準決勝でも対戦し、この時も2-0で西ドイツが勝利を収めている。準々決勝でブラジルを破り、勢いに乗っていたフランスを、西ドイツが力でねじ伏せた試合だ。

 忘れられないのは、敗れたフランスの主将プラティニが、グアダラハラのハリスコスタジアムを退場していくシーンになる。西ドイツには絶対に勝てない、お手上げ、ギブアップと言わんばかりの、どこか清々しい表情で舞台を去るその姿に、西ドイツの強さを垣間見た気がした。

 続くアステカで行なわれた決勝戦で、西ドイツはディエゴ・マラドーナ率いるアルゼンチンの軍門に下った。しかし、その借りは1990年イタリア大会でしっかり返している。ローマ・オリンピコで行なわれた決勝で、再びアルゼンチンと戦い、優勝。筆者はこの頃が西ドイツ時代を含めたドイツの全盛期だと見る。アルゼンチン、ブラジル、欧州ではイタリアぐらいしか、西ドイツに勝てそうなチームは見当たらなかった。
(つづく)

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