ドイツ代表はなぜ強いのか。プラティニのフランスもお手上げだった全盛時代 (2ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 赤木真二●写真 photo by Akagi Shinji

「我々には結束力がある」

ゲルマン魂を体現したようなドイツ代表ローター・マテウス(1990年イタリアW杯)ゲルマン魂を体現したようなドイツ代表ローター・マテウス(1990年イタリアW杯)この記事に関連する写真を見る 1990年イタリアW杯で、もっとも注目された試合は、優勝した西ドイツとその2年前の欧州選手権(ユーロ)を制したオランダとが、ミラノ・サンシーロで激突した決勝トーナメント1回戦になる。

 2年前、ハンブルクで行なわれた欧州選手権の準決勝ではオランダが2-1で勝利していた。オランダ人は1974年のリベンジを果たしたと歓喜に沸いた。しかし、そのわずか2年後、西ドイツはオランダを2-1で下し、「西ドイツ強し」を再びアピールした。この両試合にディフェンスの中心として出場したユルゲン・コーラーは、強さの原因を筆者にこう語ったものだ。

「我々には結束力がある。とにかくひとつにまとまろうとする。そのために『してはいけないこと』をチーム全員が知っている。1カ月以上も同じメンバーで暮らしていると、各所で問題が発生してもおかしくないが、我々にはそれがない。自由にものを言いたがるオランダ人との1番の違いだと思う。大会が進むにつれまとまっていくんだ」

 そのドイツ人気質は、ゲルマン魂と呼ばれた。終盤、試合時間が押し詰まるほど、尻上がりに強さを発揮。相手は後半35分まで2-0でリードしていても油断できなかった。後半40分までに同点に追いつけば、残り5分で同点、逆転に持っていきそうな、恐るべきタフな精神力を備えていた。

 世の中には2-0の怖さを説く人がいる。リードしていても、1点を奪われれば、お尻に火がついたようなもの。相手の攻勢に拍車がかかり、同点にされるのは時間の問題だ、と。サッカーにおいて2点差は安全圏ではまったくないとする意見だが、相手が絶頂期のドイツだった場合は、その意見に対して100%同意したくなる。

 前出のコーラーは、その理屈を以下のように述べた。「ドイツ人は平均ペースで試合をすることが得意なのです。私たちは平均ペースでも、他国が終盤、右肩下がりになるので、傍目には私たちが上昇しているように見えるんです」と。

 筆者が最初にゲルマン魂の洗礼を浴びたのは、1982年スペイン大会。セビージャのラモン・サンチェス・ピスファンで行なわれた準決勝のフランス戦だ。

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