メッシは5回目のW杯でついに頂点に立つのか。今回のアルゼンチンは伝統を進化させ大エースをうまく使う新しいモデル (3ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by AFLO

ビエルサ統合型

 1994年アメリカW杯を率いたアルフィオ・バシーレ監督はメノッティ派だ。メノッティ監督がウラカンで名を成した時の選手だった。

 ガブリエル・バティストゥータ、カニーヒア、マラドーナのアタックラインにアンカーがフェルナンド・レドンドというオールスターチームだった。しかし、グループリーグを通過したところでマラドーナがドーピング検査に引っかかって出場停止となり、チームもラウンド16で敗退してしまう。

 1998年フランスW杯は、メノッティ監督のチームのキャプテンだったパサレラ監督だったが、プレーぶりはメノッティ派とビラルド派の中間ぐらいでやや中途半端。準々決勝でオランダに敗れた。このタイミングでメノッティ派、ビラルド派を統合する人物、マルセロ・ビエルサが現れる。

 緻密な戦術はビラルドと似ているが、3-4-3の攻撃的なスタイルはメノッティ的だった。果敢な攻撃と強烈な前進守備の組み合わせは、対立していた二大派閥を結び付けている。2002年の日韓W杯ではグループリーグ敗退という思わぬ結果となったが、それまでの道のりは順調で大会の優勝候補だった。

 その後を継いだホセ・ペケルマン監督は、もともと監督のオファーを断ってビエルサを推薦していた経緯がある。ユース年代で実績を残し、満を持しての代表監督就任である。ビエルサの後継型だが、フアン・ロマン・リケルメを中心としたメノッティ寄りのカラーだった。

 この2006年ドイツW杯のアルゼンチンは、優勝する力がありながら準々決勝でドイツにPK負けだった。ただ、この時にスーパーサブ的な役割を果たしていた19歳のFWがその後のアルゼンチンのスタイルを決定づけることになる。

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