メッシは5回目のW杯でついに頂点に立つのか。今回のアルゼンチンは伝統を進化させ大エースをうまく使う新しいモデル (2ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by AFLO

両極端の伝統

 1930年の第1回ウルグアイW杯で、アルゼンチンはウルグアイと決勝を戦った。当時の南米二強で、ブラジルが強くなるのはもう少し後だ。

その後第二次世界大戦で中止となった2大会(1942年、46年)は、もし開催されていたらアルゼンチンが優勝していたのではないかと言われている。「ラ・マキナ(=機械、マシーンの意)」と呼ばれた偉大なリーベルプレートの全盛期だった。

 ホセ・マヌエル・モレノ、アドルフォ・ペデルネーラ、アルフレッド・ディ・ステファノなど傑出した選手たちが同時期に出現していた。メノッティが掘り起こしたのはこちらの伝統である。

 一方、ビラルドが踏襲した伝統は強固な守備、とくに球際の強さが印象的なアルゼンチンだ。むしろこちらのほうが伝統としては根強い。

 ブラジルが砂浜のフットボールなら、アルゼンチンは草原のフットボールとよく言われる。深い草でボールが止まるのでフィジカルコンタクトに強いという、それなりに根拠のある俗説だ。

 リベルタドーレス杯で優勝を重ねたエストゥディアンテスなど、インターコンチネンタルカップでは欧州側から敬遠されるほどファウルも辞さない厳しさで知られていた。メノッティはそんな1960~70年代のイメージを一新したかったようだが、ビラルドは堅実で現実的な路線をそのまま継承した。

 メノッティが率いた1978年のアルゼンチンは、ダニエル・パサレラを中心とした小柄なDFばかり。ちなみに現在マンチェスター・ユナイテッドのセンターバック(CB)として活躍しているリサンドロ・マルチネスも小柄で、パサレラの系譜を継ぐアルゼンチンらしいDFと言える。

 攻撃は2人のウイングにケンペス、オズワルド・アルディレスのインサイドハーフというドリブラーをずらりと並べた編成。錐(きり)で穴を開けるようなドリブルと狭いスペースでの即興的な連係が鮮やか。その後のマラドーナやリオネル・メッシに受け継がれる鋭利さが印象的だった。

 ビラルドは対照的に守備型の選手をずらりと並べ、攻撃はマラドーナに全権を与えた。マラドーナの補佐としてホルヘ・ブルチャガとバルダーノを付け、マラドーナの守備の肩代わりと攻撃面でのサポートに当たらせた。

 残りはもっぱら守備である。マラドーナがその天才を発揮すれば1点や2点はもたらしてくれるので、それ以上失点しないチームを作れば優勝できる。実際、それで優勝した。

 1990年イタリアW杯でも、ビラルド監督のアルゼンチンは決勝まで進んでいる。ラウンド16のブラジル戦はビラルドのチームらしい勝ち方だった。ブラジルの猛攻に耐えながら、満身創痍だったマラドーナがドリブルでDF全員を引きつけてクラウディオ・カニーヒアへラストパス、これが決まっての1-0である。

 この一戦こそアルゼンチン国民の心を揺さぶるようで、その後年末にはこの試合が放映されるのが恒例になっていった。我慢に我慢を重ねての一発逆転。これが心の琴線に触れるのであれば、こちらが本来の国民性を表しているスタイルなのだろう。

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