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「なぜブラジルが世界の頂点に立つことができたのか」。あの日から20年、チームスタッフが見た2002年W杯優勝までの道のり

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

日韓W杯20周年×スポルティーバ20周年企画
「日本サッカーの過去・現在、そして未来」
ブラジル優勝秘話(前編)

 セレソン(ブラジル代表)のキャプテン、カフーがW杯優勝のカップを横浜の空に掲げてから、6月30日でちょうど20年が経つ。その時、彼の上った台を、その下で一生懸命支えていたのは、今より20歳若い私だった。

横浜国際競技場で優勝カップを掲げるブラジル代表のカフー photo by Reuters/AFLO横浜国際競技場で優勝カップを掲げるブラジル代表のカフー photo by Reuters/AFLOこの記事に関連する写真を見る 2002年日韓W杯。私はブラジル代表チーム付きのスタッフとして、FIFAのジャケットを着て、43日間、文字どおり彼らと寝食をともにするという、かけがえのない体験をした。20年という節目の日に、私が目にしたブラジル優勝の舞台裏を皆さんにお話ししたいと思う。

 あの大会のブラジルは、決してベストのチームではなかった。

 それどころか、あと少しで史上初めてW杯出場を逃すところだった。予選では南米最弱のボリビアに3-1で敗れるなどし、最終節でどうにか出場権を手に入れることができた。世界中のブックメーカーはブラジルの優勝はあり得ないと予想しており、ブラジルメディアやサポーターからは連日容赦ない非難が飛んでいた。

 そんなブラジルが、なぜ世界の頂点に立つことができたのか。私はその秘密は、大きく分けてふたつあると思っている。

 ひとつ目はルイス・フェリペ・スコラーリ監督の存在だ。彼は一度こうと決めたら、決して揺らがない頑固さを持っている。

 スコラーリはまず、チームの輪を乱すスター選手のロマーリオを代表から追い出した。94年アメリカ大会でも、ロマーリオは自分がレギュラーでなければ代表入りはしないと騒いだ前科があった。当時のカルロス・アルベルト・パレイラ監督はロマーリオを外そうとしたが、周囲からのプレッシャーや批判に屈して、彼を代表に戻し、そしてブラジルは優勝を果たした。そんな前例があるうえに、ロマーリオは日韓W杯の南米予選でもリバウドに並ぶ最多ゴールをマークしていた。しかし、それでもスコラーリはロマーリオを、W杯を戦うメンバーに招集しなかった。

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