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ロナウドは総資産350億円の実業家。栄光の2002年セレソンたちのいま (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

 また、同じく2004年には自らが生まれ育ったサンパウロのファベ-―ラ(スラム)に「フォンダソン・カフー」(カフー基金)という施設を設立。貧しい家庭を助けていた。食事を供与し、子供たちを学校に通わせ、医療サポートをして、親たちには職業訓練を施していた。

 しかし、2019年に彼を大きな災難が襲った。財政難からカフーは17年続いたこの基金を閉めなければならず、マネジメント会社も倒産。おまけに9月には30歳になったばかりの息子ダニーロを亡くしてしまった。サッカーをプレー中の突然の心臓発作だった。私は彼をよく知っているが、その悲しむ様子は見ていて本当に辛かった。

 現在50歳のカフーは、コロナ禍においては、1週間に一度、夜の10時以降に食料や衣料をホームレスの人々に配っていて、それがここ1年ずっと続いている。

 FIFAの親善大使も務めており、2022カタールW杯のためにも働いていたが、このたび大会のアンバサダーに就任した。本来ならばこのポストはネイマールが務めるはずだったのだが、ネイマールの先行きが不安視されるなか、より安定しているカフーにクビをすげ替えられたのだ。カフーはW杯で4度プレーし、3度決勝に進み、2度の優勝を果たしている。W杯の顔としては申し分ないだろう。礼儀正しく、いつも笑顔で、人となりにおいてもネイマールよりずっと確実である。

 2002年のブラジル代表といえば、まっさき思い浮かぶのは、あの不思議な髪形のロナウドだろう。計8ゴールを決めて大会の得点王となり、ブラジル優勝の原動力となった。

 ロナウドはバルセロナ、インテル、レアル・マドリード、ミランと、ヨーロッパの名門で活躍した後、2011年にコリンチャンスで引退した。まだ34歳だったが、膝のケガと甲状腺の病気が彼にプレーを続けることを許さなかった。引退を告げる記者会見では「もっと続けたかったが、体との戦いに負けた」と、涙を流した。

 引退後のロナウドは、選手時代に獲得した豊富な資金を使って実業家に転身。さまざまなビジネスに携わっていて、おおむね成功している。門外漢の事業に手を出して財を失う選手も多い中、ロナウドにはサッカーだけでなく、ビジネスの才覚もあったようだ。

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