ロナウドは総資産350億円の実業家。栄光の2002年セレソンたちのいま
あのスーパースターはいま(10)前編
2002年W杯で優勝し、横浜国際競技場でカップを掲げるロナウドphoto by Yamazoe Toshio 2002年日韓ワールドカップのセレソン(ブラジル代表)はブラジルサッカー界で最後の"本物の英雄"だ。それから19年たった今も、ブラジルに6度目の世界チャンピオンのタイトルはもたらされていないのだから。
ブラジルが世界の頂点に立つ瞬間を見るためだけに、2万5000人のサポーターと600人の記者が、地球の裏側からはるばる横浜までやって来た。彼らは一晩中、歌い踊り、優勝を喜んだものだ。日本の人々もそのお祭り騒ぎに加わって、ともに祝ってくれた。いまでもそれは幸せな記憶として人々の心の中に残っているだろう。
日本がブラジル、特にブラジルサッカーに親しみを持っているとは知っていたが、それはブラジル人の想像をはるかに超えていた。ロベルト・カルロスは後に当時のことを語ってこう言っている。
「ブラジルから何万万にもサポーターが来ていたにもかかわらず、彼らは日本人サポーターの波にのまれてしまっていた。その日本人サポーターたちは、みんなカナリア色のユニホームを着ていたんだ!」
また、リバウドは言う。
「日本人が、日本的発音でブ・ラ・ジ・ルと叫んでいたあの声は、今でも僕の耳に残っているよ」
当時の代表監督フェリペ・ルイス・スコラーリもこう言っていた。
「もしあのW杯が他の国で開催されていたなら、我々は世界を制するのにもっとずっと苦労していただろう。日本の人々には永遠に、永遠に感謝している」
あの時、日本とブラジルをひとつにし、喜びをもたらしてくれた選手たちは今いったいどうしているのだろうか。主要なメンバーのその後を紹介したいと思う。
チームのキャプテンとして横浜でトロフィーを天に掲げたカフーは、ローマからミランに移籍した後、2008年に現役を引退した。彼は2004年に、彼自身とその他の選手をマネジメントする会社「カピ‐ペンタ・インターナショナル・プレイヤー」を妻のレジーナとともに設立、引退後はその仕事をしていた。
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