オシム監督の「考えて走る」の正体。格上をやっつける胸熱サッカー (4ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

 07年のアジアカップの前も、「エクストラキッカーはひとりかふたり」とさんざん言っておいて、大会が始まってみれば3人並べていた。中村俊輔、中村憲剛、遠藤保仁。

「3人呼んだ時点で、ふたりをベンチに置くつもりはなかった」

 あとでそう話していたが、大会前はリスクばかりを強調していたものだ。

 まさにリスクを冒したわけだが、4位に終わって批判も多かったアジアカップの日本代表をオシム監督は気に入っていたように見えた。

 ただ、そのあとはまた違ったチームづくりをしたと思う。日本はアジアのトップクラスだが、ワールドカップでは中位以下だからだ。

 むしろその状況こそ、オシム監督の得意とするところである。実現しなかったのは残念だが、きっと強豪国にひと泡吹かせるようなチームをつくっていただろう。

イビチャ・オシム
Ivica Osim/1941年5月6日生まれ。旧ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボ出身。選手時代はFWで、ユーゴスラビア代表として1964年東京五輪でプレーしたことがある。78年にジェリェズニチャルから指導をスタートし、ユーゴスラビア代表やパルチザン・ベオグラード、パナシナイコス(ギリシャ)、シュトルム・グラーツの監督を歴任。03年からジェフユナイテッド市原の監督に就任。06年夏から07年まで、日本代表監督を務めた。

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