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サッカー界にもある「永久欠番」。語り継がれるレジェンドたちの偉業 (2ページ目)

  • 中山 淳●文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by Getty Images

 彼がナポリに所属した7シーズンは、クラブ史上最も偉大な時代だった。加入3年目の1986-87シーズンにはリーグ初優勝(スクデット)とコッパ・イタリアの2冠を達成し、1988-89シーズンはUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)初優勝。そして1989-90シーズンには2度目のスクデットを獲得し、ナポリの街は熱狂の渦と化した。

 これまでナポリがスクデットを手にしたのは、その時代の2回のみ。当時背番号「10」を背負って数々の栄光をもたらす活躍をしたマラドーナは、ナポリの人々にとって神そのもので、現在も街の至る所にマラドーナの写真やポスター、あるいは壁画などがまつられているのも頷ける。

 ちなみにその時代、マラドーナはアルゼンチン代表の「10」番を背負って86年メキシコW杯で優勝トロフィーを掲げているが、80年代後半からサッカー界では「10番=マラドーナ」としてそのイメージが定着したほど強烈なインパクトがあった。

 同じように、カルチョの国イタリアでは、クラブの象徴的存在が着用していた背番号を永久欠番にしているケースが多い。

 たとえば名門ミランでは、フランコ・バレージの「6」番とパオロ・マルディーニの「3」番が永久欠番だ。ふたりは、いずれも80年代後半から90年代にかけてミランの黄金時代を支えたと同時に、選手としてミラン一筋を貫いた"バンディエラ"でもある。

 名将アリゴ・サッキが生み出したゾーンディフェンスの申し子と言われたバレージは、77年から20年にわたって公式戦通算719試合に出場(33得点)した名センターバック。

 そんな彼の功績を称えるためにクラブが用意した引退試合では、選手交代の合図とともに試合終了5分前にバレージが万雷の拍手のなかでベンチに下がると、代わりに出場する選手がいないまま試合が進行。それは、バレージに代わる選手は存在しないこと、そして彼がつけていた「6」番が永久欠番になることをファンに知らせる演出だった。

 マルディーニは、父チェーザレもミランのレジェンドという父子鷹で、バレージと共に数々のタイトルを手にした名サイドバックだった。

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